チャイコフスキー「マンフレッド」 アシュケナージ指揮フィルハーモニア管朝日新聞土曜版の人生相談のコーナーで破壊的回答を連発する車谷長吉の「飆風」を読む。
生々しい日常生活と心象を描いた私小説。平成に書かれたものであるが、まるで昭和初期の味わいである。
どうしても欲しかった芥川賞の候補になるも、あえなく落選する。個人的な関わりはまったくないのに、当選した保坂和志に対する恨みつらみを何度も書き連ねるところは、鬼気迫るのを超えて笑える。
このあたり、同じ賞を取りたくて佐藤春夫に嘆願した太宰の私小説に雰囲気がそっくりだ。
ただ、より切実に感じられるのは車谷のほうだ。同じ時代を生きているからだろうか。
チャイコフスキーの「マンフレッド」。
この曲を初めて聴いたのは、アーロノヴィチ指揮ロンドン交響楽団によるもの。昔に図書館で借りたLPによるものであった。
なんどか聴いたが、いまひとつピンとこなかったものだ。冒頭のファゴットによる悲愴な響きのみが印象に残り、あとはほとんど忘れ去ってしまった。
それから30年。
そろそろ機も熟したとみて、満を持して購入したよアシュケナージ。
録音は1977年とあるから、彼が指揮者として歩み始めたキャリアの最初の頃のものではないだろうか。その時分のアシュケナージにフィルハーモニアとくれば、いろいろな意味でなんでもアリだろうといった雰囲気まんまんだが、なるほどこれは充分にアリだった。
豊満なオケの音色がとてもおいしい。どこをとってもしなやかで流れがいい。いたってオーソドックスな演奏であり、指揮者はとくに凝った要求をしていないと思われる。でも、音楽の演奏においてそういったことがプラスに作用することは往々にしてあるもので、それがビタリとハマったのが、この演奏ではないかと思う。これが「悲愴」とかだと、また印象が違うのかもしれない。
このマンフレッド、いい演奏じゃないだろうか。ほぼ30年振りに聴くのでたいして自信はないが。
それにしてもフィルハーモニアはやはりいい。安心して身を任せられる。
デッカ録音は明瞭でつややか、不満なし。
1977年4月、ロンドン、キングズウェイホールでの録音。
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