丸谷才一の「持ち重りする薔薇の花」を読む。
これは、日本人で構成される世界的な弦楽四重奏団の愛憎を、出版を前提に、パトロン筋である財閥系商社の社長が有名出版社の役員に語るという話。著者の最後の長編小説であるとのこと。
丸谷の小説は、相変わらずエリートばかりが出てくる。その点では、感情移入できにくい。いちいち鼻につく。だが、構成と文章の妙なのだろう、最初から最後まで一気に読まさせられる。
漫才コンビと同じで、弦楽四重奏団も仕事の間はメンバーがいつも一緒にいるわけで、それが何十年も続いたらいい加減にいやになる。曲の好みも違うし、解釈もみんなそれぞれ意見がある。仕事の上での破綻もあるし、ときには私生活でのトラブルも。
チェリストがヴィオリストの元奥さんを寝とったかと思えば、後年にはそのヴィオリストがチェリストの奥さんと駆け落ち。
そのヴィオリストの話。
「柔いボタンや襞や潤っている畝や窪みの翳りにあれこれと優しく指を使ってかはいがつてやつたら、喜んで、声をあげて、おお! 紫一色の虹が立つ」。
丸谷は、エロ小説を書きたかったのだろうか。
ジャン=マルク・ルイサダのピアノで、シューマンの「謝肉祭」を聴く。
シューマンにはわりと五月蠅い。この曲でいえば、ミケランジェリのDG盤を持って決定盤とし、そのほかのディスクは俎上に上らない。彼には2度目の録音がEMIにあるが、それはDG盤と似てはいても全く別物である。
ルービンシュタインは、最初に聴いた演奏だから別格、デムスやアシュケナージはいまひとつ、シュミットはなかなかいいが、ミケランジェリには及ばない、といった聴き方をしている始末。
そんななか、このルイサダ盤は、かなりいい。
音色は緻密に練り上げられており、タッチは繊細。フォルテッシモでもあまり濁らない。覇気があって歯切れがいいし、ロマンティックな夜の匂いも曲によっては濃く感じられる。
「スフィンクス」で、シンバルのような音が鳴る。ピアノの弦を何かで引っ掻いたような音であろう。「謝肉祭」にこの曲を含めない演奏は多いと思うし、さらにこのような効果音を付加している演奏は珍しいのじゃないだろうか。実際の効果はというと、微妙だ。
この曲集の演奏の基準としている曲は「回り逢い」である。ここを軽やかにリズミカルに、そしていかに色彩感をもって弾くのかが重要なポイント。ルイサダのは、やや重いものの、色合いと中間部の雰囲気のよさで高得点を差し上げ。
シューマンのピアノ曲は、日曜日の夜に映える。休暇の心地よい疲れと明日への嫌悪がそう感じるのか。
ルイサダのピアノは香り高く、シューマンに合っていると思う。
2000年5月、オールドバラ、モールティングス・スネイプ・コンサート・ホールでの録音。
休憩。
重版できました。
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仰るように、俗に言う「おっとりとのんびりした」人物というものが、ここにはただのひとりも出てきません。厨川の女房なんてのも、ちょっと普通じゃないですよね。みんなキュウキュウ言いながら生きている感じがします。地位と収入が高いと、こんなことになってしまうのか?
エリートにならなくてよかった、としみじみ思います(爆)。