カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)の「わたしを離さないで」を読む。
「この歌のどこがよかったのでしょうか。聞きたかったのは、「ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」というリフレーンだけです。聞きながら、いつも一人の女性を思い浮かべました。死ぬほど赤ちゃんが欲しいのに、産めないと言われています。でも、あるとき奇蹟が起こり、赤ちゃんが生まれます」
茂木健一郎はこの本について、「事態の全貌が明らかになった時、読者は血も凍るような恐怖感を覚えることになる。魂の奥底にまで届くような衝撃がある」というようなことを言っているとのこと。が、そういう感触はなかった。読んでいる途中で、これはあまり幸せなことではなさそうだという予想ができたので。
こういったことが実際にあるのか、あるいはSFなのか、わからない。こんな世の中だから、あっても不思議はないような気もする。
施設で暮らす若者たちは、健気に明るく生きている。恋をするし喧嘩もする。そのへんにいる若者か、あるいはそれ以上に人生を満喫している。女も男もいきいきと描かれていて気持ちがいい。この本のよさはそこにある。なので、ミステリーをひも解くように読んでしまうと興をそがれる、と思う。
ホロヴィッツのピアノで、シューマンの「幻想曲」を聴く。
1953年のアメリカ・デビュー25周年を記念するソロ・リサイタルの後、ホロヴィッツは公開演奏の場から引退した。
RCAやCBSで録音活動は行っていたものの、ステージでの演奏は行わなかった。しかし1965年5月9日、実に12年ぶりにリサイタルを開く。このシューマンは、そのなかの1曲。
現役時代のホロヴィッツは、今の研究によれば神経症性うつ病の範疇にあったことが示唆されている。その12年のブランクはまさにその病気との闘いであったのだろうと推察する。
ピアニストがステージに上がることの怖さは、オーケストラの奏者や指揮者の比ではないに違いない。みんなでやれば怖さは分散するが、一人は圧倒的に怖い。だから、グールドのドロップアウトの原因のひとつは、その類だったのではないかと邪推する。
演奏は素晴らしい。ホロヴィッツはこの曲をセッションでも録音しているが、甲乙つけがたいくらい。冒頭から光沢のある響きを惜しまず放ち、夢の世界へいざなってくれる。インスピレーションに富んでいるし、テクニックも万全。キラリと光る高音にヴィルトゥオーソの片りんが見えるが、全体を通して技巧のひけらかしはない。
彼がいかにシューマンを大切に思っていたかが、如実にわかる。
1965年5月9日、ニューヨーク、カーネギー・ホールでのライヴ録音。
新年。
3月に絶版予定。。
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