庄野潤三の「ザボンの花」を読む。
これは、5人家族の日常生活を、夏休みを中心に描いた長編小説。
話そのものはなんということのない、そのへんに転がっていそうな平凡なものだ。それを最後まで一気に読ませる力量は、筆者の水際立った文章力の高さにある。淡々とした文はみずみずしく、なんのとっかかりもなくすっと胸に入ってくる。月並みな話だからこそ、人間世界の真髄に迫る。
お父さんの矢牧と長女の小学生のなつめとの、さらりとした会話がいい。
「『会社へ行くのが好き?』と聞かれて、矢牧が『きらい』と答えたのでなつめが大よろこびしたのは、なつめが父に同情したからだ」。
なつめは、きっといい娘に育つだろう。
プレガルディエンのテノールでシューベルトの「冬の旅」を聴く。
「冬の旅」は、ヒュッシュやホッターやF=ディースカウのものが有名だったから、バリトンのものだというイメージがひところ私にもあったが、作曲家はテノールが歌うことを企図して書いた。テノールによるディスクが出始めたのは、ヘフリガーやシュライアーによるものだと記憶する。オリジナル楽器による古典音楽もそうであるが、ほんの3,40年の間に、クラシック音楽は変わりうる。
プレガルディエンによる演奏は、テノールによる「冬の旅」の、ひとつの完成形であると言ってしまってもいいかもしれない。それほど、この歌には力がある。声が澄み切っていて美しいこともさることながら、ここぞというシーンでの感情表現は実に効果的であり、納得せざるを得ない。テンポは総じてゆっくり目。思い入れたっぷりに歌い上げる。
「菩提樹」は背筋の伸びた佇まい。テノールなだけに色調は明るめで、センテンスによって声の色を使い分ける。この曲は、シューベルトのリートのなかでそれほど好きな曲ではないが、彼の歌でなら聴きたい。
「凍った川で」は発音がなめらかで繊細で素晴らしい。ドイツ語はわからないものの、響きの清澄さが心にしっくりと沁み渡る。
「からす」での絶叫は、激しくなく、どちらかと言えば冷静。自らの狂気を他人からの目線で見ているようだ。
「宿」ではフォルテ・ピアノの効果が大きい。いままでは通常のピアノがちょっとくすんだような音色だったのが、ここではチェンバロに近い音色を出していて、いかにも鄙びた雰囲気を醸し出す。
「辻音楽師」は淡々。問答無用に美しい。
プレガルディエンによる「冬の旅」は、死への足取りではない。
まだ頬に赤さが残る青年の、淡い希望として歌われていると感じる。
シュタイナーのフォルテ・ピアノも間然とするところのない、立派なもの。歌にぴったりと添いつつ、楽器の趣きの魅力も十全に放っている。
1996年3月、ケルン、ルンドフンクスでの録音。
冷やし中華とツイッター始めました!インド洋を望む。
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