ケーゲル/ライプツィヒ放送管のウェーベルン管弦楽曲集普段はクラシック音楽を聴かないヒト、いや多少齧っているヒトでさえも、
シェーンベルクの弦楽四重奏曲を初めて聴いたら、「こりゃ現代音楽だ」
とつぶやきつつ、新聞のテレビ欄などを読み始めるのではなかろうか。
そして、おもむろに冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、ヴィヴァルディの
「四季」などを聴いて口直し(と耳直し)をするだろう。
今から100年近くも前に作られた音楽なのに、なんでこんなことに
なっちゃうのか。
「トリスタンとイゾルデ」は、従来の調性をあいまいにした記念碑的作品
として知られている。確かに楽典の世界で言えばそういうことになる
のかも知れないが、今ではまったく自然に聴くことができる。
続いて現代音楽への扉を開いた人物としてドビュッシーがいる。
21世紀の現在に聴いても前衛の香りが漂うが、「クラシック音楽」と
して違和感はない。
そうなると、いわゆる「現代音楽」といわれる音楽のとっかかりは、
12音技法の発明から、ということになりそうだ。
以下、片山素秀による12音技法の定義である。
『至極簡単に言いますと、1オクターヴ内の12の音-ピアノで言えば、
ドからシまでの7つの白鍵と、その途中にある5つの黒鍵を、
すべて均等な比重で用い、音楽を常に無重力状態に置いて、決して
腰を落ち着かせないようにする作曲テクニックです』
…。
この技法はシェーンベルクが初めて採用したと言われるが、彼の作品の
一部は、申し訳ないけれど、ホントにつまらない。
もしかしたら、それは駄作なのかもしれないが、その判断ができないのだ。
何が楽しくてこういうものを作っているのか、彼と朝まで飲み明かしたい
くらいである。
通訳つきで。
そういう私は、一方でウェーベルンを聴くことは多い。
作品が少ないし、曲が短いので、なんとなく聴いているうちにだんだん
楽しくなってきたのだ。
まず作品番号1の「パッサカリア」で親しみを感じた。もっとも、これは
もろに後期ロマン派の音楽だが。
「管弦楽のための6つの小品」は無調の曲であるが、「パッサカリア」から
わずか2年後の作品である。
LPで最初に聴いたときは、6曲の区切りすらわからなかったのだが、
ウリ・セガルが東京フィルを振ったナマを聴いたときに、軽いショックを
受けた。
清澄な響きと、瞬間的に沸騰するダイナミズムとが、わずかな時間の
なかに凝縮されていて、スキのない緊張感がめざましかったのだ。
LPで聴いていたのが、ケーゲル盤。
彼はベートーヴェンの「歓喜の歌」でさえ葬送行進曲みたいにしてしまう、
稀有なネクラ指揮者なので私はわりと好んでいるのだが、ここでは
シュールな色彩感を楽しむことができる。
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