R.シュトラウス 「死と変容」 クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団笠原嘉の「軽症うつ病」を読む。
心の病の診断は基本的に問診だから、白か黒かの線引きが難しい。医師は患者の会話から判断するから、しゃべりがうまくない患者の場合はなおさらだ。グレーゾーンが多い病気だといえるし、だから誤解も多い。
この書では、そのあたりのグレーゾーンを考慮した検討を行っている。
そのひとつに、若いときからの憂鬱が持続して中年に至る、という状態があるという。
「今までこういう軽症慢性型は、病気というよりは社会適応の失敗として、つまり神経症として、あるいは「わがまま病」としてみられがちでしたが、それを(内因性)うつ病の軽症慢性型として検討することを彼らは提唱しました。私もこの考え方にほとんど賛成です」。
彼らというのはアメリカの研究者を指している。アメリカはこの若年発症の慢性うつ状態を「気分変調症」(ディスサイミア)と定義しているが、現在のわれわれの手持ちの薬では慢性の症状に対して十分な効果はないと著者はいう。
とはいえ、薬物による治療を旧態依然と切り捨てていいものかどうか、悩ましいところではあるな。
クレンペラーの「死と変容」を聴く。
これは、淡々とした佇まいのなかに、水彩画のような抒情を感じさせる演奏。
フィルハーモニアの音色は全体的に軽い。それはヴァイオリンの対抗配置によるものもあるだろうし、録音の塩梅も関係するかもしれないが、おおきくは指揮者のさじ加減なのだろう。普段はどっぷりと濃厚なこの作品が、スッキリと見通しのよい仕上がりになっていて面白い。
曲のまんなかのあたり、フルートのソロにヴァイオリンのソロが絡み合うところで、両サイドからひたひたと聴こえる緻密なヴァイオリンが印象的。この曲のなかでは特段どうっていうことのない場面かもしれないが、思わず引き込まれる魅力がある。対抗配置が効いている。
ラストはあっさりと終了。クレンペラーらしい気がする。
録音は年代にしてはよい。
1961年11月、ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音。
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