R・コルサコフ「シェエラザード」 マルケヴィチ指揮ロンドン交響楽団竹中平蔵の「竹中式マトリクス勉強法」を読む。
竹中といえば小泉政権の経済改革を担った人物のひとりであるが、その業績に対しては賛否両論だ。郵政民営化を最後までやり抜いた意志と行動力は大きく評価されているものの、一方では現在の景気不況の元凶であると糾弾されもしている。
とはいえ、もともと学者だった彼がよくやったなあとも思う。肝心の政策が良いか悪いかは無理やりおいておけば、首相のブレーンとして結果をきちんと出していたことは否めない。
そんな彼も小泉内閣の終焉とともに議員を辞職したあとは、大学の教員や企業の経営など政治以外の分野で活躍しており、本書はその活動の一環である。
内容にたいした新味はない。「なるほど、こうやって勉強すればいいんだ!」なんていう大きな驚きは見当たらない。といっても、一冊の本を読めばなにかしら得るところはあるもので、小さいけれども興味深い意見はあった。それがこれ。
「たとえ話は煎じつめると、まるでロジックが通らないデタラメがほとんどなのです」
「子どもに説明する場合など、分かりやすい説明が必要な場合にたとえ話を駆使して喋るのは大いに結構ですが、ロジカルに議論する場には、まるで向きません」
なるほど、会社での議論には使えない。ならば、緻密な検証が不要なキャバクラでのヨタ話であればどうだろう。それなりに効果が望めるのではないだろうか。
ロジックがおかしい、なんて批判されたりして。夜もか。
1988年に作られたこの曲についてR・コルサコフは「ワーグナーの影響を受けずに、グリンカのオーケストラの普通の範囲内において、きわめて技巧に富んだ輝かしい音響をもつもの」と自画自賛している。
ワーグナーがロシアの音楽界にも大きな影響を与えたことに加えて、グリンカがそれ以上に評価されていたことを読み取ることができる。同郷のよしみということもあるかも知れないが、このあたり今の日本の見方と違うところが面白い。グリンカが偉いといわれても、聴いたことのあるのは「ルスランとリュドミラ」、しかも序曲のみというありさまなのが日本のCD事情である。なんて、他に知らないのは私だけだったりして。
マルケヴィチの「シェエラザード」は非常に緻密。細かいところまでキッチリと目配りをしたもので、かゆいところに手が届くといった感じ。全体的にスリムなフォーマットになっている。
演奏は、例に漏れず終楽章の「バグダットの祭り」で最高潮に達する。速い音のキザミがひとつひとつはっきりと聴こえるあたりがマルケヴィチの真骨頂。ことに、トランペット、小太鼓、タンバリンの音の綿密さからは、一種偏執狂的な情熱を感じないではいられない。この曲を聴いて感動したのは始めてかもしれないな。
グリューエンベルグのヴァイオリンも細やかなもの。
録音もいい。低弦やブラスの広がりがすばらしい。
1962年10月20-25日、ロンドンでの録音。
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