内田百閒の「第三阿房列車」を読む。
子分のヒマラヤ山系氏をつれての鉄道旅行記、第3弾。
予想はしていたが、赴くところは異なるものの、内容は前2作とほぼ変わらない。ただただ、列車に乗って、旅館でひたすら酒を呑む。こう書くと退屈なようだが、まったくそんなことはなく、読んでいるこっちまで列車旅行を楽しんでいる気分になる。軽妙にして洒脱な文章がしみじみといい。
例によって、借金してでの豪遊である。
お金の融通の仕方について、こう述べている。
「『ファウスト』の第二部で、メフィストフェレスが云っている事をお聴き取り下さい。
あなた方がお入り用のお金は作って進ぜましょう、いやお入り用以上のものを。全く造作もない事で御座いますが、さてその造作もない事が六ずかしいので、お金は現にもうそこにある、そのそこにあるお金を手に入れるのが術と云うもので御座います。さてどなたにそれが出来ますかな」。
開き直った態度が、愉快。
パッパーノの指揮で、ヴェルディの「レクイエム」を聴く。
これは痛快な演奏。現代風にスマートなものではなく、ふた昔、み昔まえの時代を思わせる、派手で生々しく血がたぎるようなスタイルである。
それはまず、「キリエ」でのパーペの歌唱にあらわれている。ケレン味がたっぷりでクセのある歌いまわしは、パートは違えど、トスカニーニ盤のディ・ステファノを思わせる。
そして「怒りの日」。強烈だ。大太鼓の音は乾いており、皮が破れんばかりに容赦なく打ちつけられる。こんなにパンチのある響きは、トスカニーニ、あるいはジュリーニ以来かと思われる。ここは、このくらい強く打たなければ面白くない。荒れ狂う金管楽器、それにキラリと光るピッコロもいい。
とても味わい深いファゴットの伴奏での四重唱はしみじみといい。ハルテロスとガナッシは、とりたてて美声ではないと感じるが、音程は確かだし、感情の表出が豊か。ヴィラゾンは安定感がある。もうちょっといけば感傷的になる、ギリギリのところで留まっている。
チェロとフルートでの女声二重唱も滋味深い。
「ラクリモザ」はパーペが主役。そしてソプラノと女声合唱、地獄のようなオケがじりじりと盛り上げる。
後半もいい。
「奉献誦」はソリストの持ち味が出る音楽であり、最もオペラの雰囲気があるところだ。歌手はみんないい。オケの緻密な弾きぶりも注目に値する。
それに対し「サンクトゥス」は合唱団がおいしい場面である。ただここは、オケが前に出すぎている感がある。録音の加減かもしれない。「リベラメ」は荒々しい。怒り狂っているかのよう。ここで音楽はピークに達する。
全体を通して、ずっしりと重量感があるオーケストラとコーラスがいい。以前からサンタ・チェチリア管はいいオケだと思っていたが、ますます好きになった。それをキチンとコントロールするパッパーノも立派。
アニヤ・ハルテロス(ソプラノ)
ソニア・ガナッシ(メゾ・ソプラノ)
ロランド・ヴィラゾン(テノール)
レネ・パーぺ(バス)
ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団&合唱団(合唱指揮:アンドレス・マスペロ)
2009年1月、ローマ、アウディトリウム・パルコ・デラ・ムジカ、サラ・サンタ・チェチーリアでのライヴ録音。
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