ザビーネ・マイヤー(バセット・ホルン) アバド指揮ベルリン・フィルドストエフスキー(亀山郁夫訳)の「悪霊」第1巻を読む。
学生時代に、ドストエフスキーのいわゆる「五大長編」に挑戦したことがある。結局、「未成年」と「悪霊」は、本を買ったにも関わらず、ながーい間「ツンドク」状態で、とうとう読むことはなかった。いまもその新潮文庫はあるのだけど、みごとなまでに茶色に変色していて、とても読む気にならない。なんとなく、もう一生読むことはないと思っていた。
そこへ、光文社から新訳が出てしまった。読んだことがないくせに新訳もなにもないのだけど、ピッとした新刊本であれば、ココロ新たに読みとおすことができるのではないかと考えた次第。
第1巻を読んでわかったことは、お話はまだまだ序の口であることだった。登場人物の顔合わせといったところ。動きが少なく、読むのに三か月かかった。
巻末に、翻訳者による「悪霊論」が付録としてついている。この小説の成り立ちとか押さえるべきポイントが、たいへん熱のこもった筆でわかりやすく書かれている。
これがなければ1巻で挫折していたかも。
マイヤーによるモーツアルトの協奏曲、今度はアバドの指揮で。やはりEMIの録音にハンス・フォンク指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏によるものがあって、これは1990年の録音だから、8年振りの再録音になる。同じレーベルで再度試みるにはいささかブランクが短いような気がしないでもないが、だいぶ異なった演奏になっているので、聴き比べる楽しみがあるぶん、価値があるといえるかもしれない。
大きな違いは、まずテンポにある。この演奏のほうが速い。逡巡なく、すいすいと進む。当然のことながら推進力はたっぷりとあって、清涼飲料水のような軽い味わいがある。オーケストラの厚ぼったさよりも、テンポの速さがきいている。
あと、即興的なパッセージがふんだんに使われているところも旧盤と違うところ。節々の切れ目に、風のようにあらわれる。一瞬ハッとするものの、過ぎてみれば全体の流れを損なわない計算されたものだ。
テンポの速さも即興性もライヴだからこそ、かもしれない。2楽章はもう少し陰影が欲しかったということもあり、完成度はフォンク盤が上回るように思う。
1998年12月、ベルリン、フィルハーモニーでのライヴ録音
今日あたりが満開かと思ったけれど、蕾がまだだいぶ残っている。
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