O・ヘンリー(小川高義訳)の「魔が差したパン」を読む。
「マーサは四十歳。独身。通帳には二千ドルの残高がある。人造の歯を二本と、人情に厚い心臓を一つ所有する。このマーサよりも結婚しそうにない女が案外さっさと身を固めているものだ」
マーサは街角で小さなパン屋を経営している。気になる客がいる。週に2,3度来店する中年の男で、いつも硬くなった古くて安いパンを買っていく。着ているものは安っぽいが、小ざっぱりとしている。
マーサは、その男の指に赤と茶色の染みがついていることを発見し、貧乏な画家だと想定する。
ある日、いつものように男が来て、古いパンを注文する。すると、外に消防車が走って、男はそれに眼を向ける。その隙にマーサは、パンに切れ目を入れてたっぷりのバターを仕込んで、男に提供した。
甘酸っぱい中年女の淡い恋、その結果は。。。
苦笑してしまう。
結末が気になるなら、是非お読みください。
ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏で、マーラーの交響曲1番「巨人」を聴く(1983年10月、シカゴ、オーケストラ・ホールでの録音)。
これは、ジンセイで最初に買ったCDのひとつ。もう一個は、F=ディースカウとブレンデルの「白鳥の歌」。それぞれ、3200円か3500円はしたと記憶する。
どうしてこの2枚だったかと言うと、ショルティが実質的に2度目のマーラー全集を慣行していて、それに着目しており、そのなかで1枚だったことから。ディースカウのは、これも新譜だったし、ブレンデルとの共演が面白そう、そして白鳥の歌はLPではもっていなかったから、だと思う。
この演奏は、恐ろしく大きなトルクを搭載したクルマが、高速道路を100キロで走っている、という感じ。
トランペットのハーセス、ホルンのクレジェンジャーといった名人を始めとした当時世界最強の金管群は、7割程度の力でこなしている。本気を出せば、こんなものじゃない、といった風情。
1970年代初頭までの、肘に力が入ったショルティの姿はここにはなく、鼻歌まじり、余裕でドライヴしている。
金管楽器だけではない。スティルを擁する木管楽器、アイタイがいる弦楽器、すべてのパートが、完璧で、かつ、ゆとりの演奏を繰り広げる。
なんなんだ、このふくよかさは。
このCDを買った当時はわからなかったが、今聴くと、スケールの巨大な演奏なのである。
屋根の上のパーティ。
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