穂村弘の「絶叫委員会」を読む。
これは、歌人が街中を歩いて拾った「偶然性による結果的ポエム」の紹介。
結果的ポエムは、学生時代の友達のセリフや、電車の中で聴こえた女子学生の会話など、いたるところに転がっている。
後半になるにしたがってぐんぐん面白くなってゆく。引用するときりがないので、ひとつだけ。
著者があるお寺を訪問したとき、池に白鳥がいた。近づくと、こんな看板が。
「噛みつきますから白鳥に近づかないで下さい」。
「熊は怖いけどパンダは可愛いってのが怪しいとは思っていたけど、白鳥は盲点だった」。
白鳥は噛みつかないというのは思いこみなのだ。そういうことに縛られて我々は生きている。
このような出来事に遭遇すると、自分の世界が軽く、凍る。
ケーゲルの指揮で、ベートーヴェンの交響曲3番「英雄」を聴く。
ケーゲルのベートーヴェン全集は、ずいぶん前に購入したにもかかわらず4番と7番と9番を聴いたくらいで、ずっと放置していたものだ。
先日、
neoros2019さんから「英雄を聴いてみろ」と薦められたので、先週から毎日のように取りだしている。
これは、深いベートーヴェンだ。
一聴すると、響きは柔らかい。弦はしなやかにうねり、ホルンは朗々と鳴り、木管群はバランス感覚が抜群。
ケーゲルの指揮は力みがない。1楽章の再現部のクライマックスは、自然な力感がこもる。普通にいい。
聴きどころは2楽章以降。アンサンブルの精度の高さは、この曲の音盤のなかでもトップクラスなのではあるまいか。淡々とした佇まいのなかに、豊かな情感がこめられている。この時間、じつに濃厚だ。
金管のファンファーレがテヌートで奏されるところはユニーク。
スケルツォは泡立つように生き生きとしている。2楽章と対比したとき、新鮮な生命の息吹を感じないわけにいかない。ホルン、木管がとりわけ鮮やか。
終楽章は、まず冒頭の弦楽器の切り込みが鮮烈。やられた。尋常な指示では、この音は出せないだろう。
以降、しなやかな弦楽器群が土台になり、木・金管群が巧妙なスパイスを振りかけ、堂々と進んでいく。ラストのヴァイオリンのキザミとティンパニがカッコいい。
ドレスデン・フィルは、同じ都市にあるシュターツカペレに比べると地味なイメージがあるが、これを聴くと、勝るとも劣らない実力があるように感じる。
1982~83年の録音。
Perth Quarry
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