ルドルフ・ゼルキン ベートーヴェン選集深沢七郎の「生きているのはひまつぶし」を読む。
先月にみんなで「にわか」ファンになったこれについて痛烈。
「水泳なんていうのは人間の泳ぐ速さなんて限度が決まっていてね、1秒とか2秒とか1分か2分だよ。いくら速いっていったって、ちゃんとした飛行機や船にはかなわないんだから、ちょっとくらい速くったって、そんなことたいしたことじゃないって、オレは思うんだよね」。
「スポーツの選手なんていうのは、おだてられて、自分の体に無理に無理して、自分の体力以上のことをやっている。ひとつの犠牲者だと思うね」。
「それを言っちゃあ」なんだけど、「そりゃそうだ」でもあるな。
生きる意味を見いだせない以上、スポーツを、ジンセイを、「ひまつぶし」といっても過言ではないだろう。
ゼルキンのベートーヴェンを聴く。
12番というのは、初期なのだろうか、中期なのだろうか。作品番号だと26だから初期のような感じだが、作風はもう中期に浸かっているような気がする。
1楽章の冒頭から毅然としていて、それは全体を通して貫かれている。これしかない、どの楽章も、これしかない、というような迫力に満ちている。
ショパンの2番のソナタはこれを参考にしたという話があるが、あれは本当だと思う。ショパンのものはちょっと軟い感じだが、雰囲気はソックリだ。
私はこの曲の終楽章のアレグロが昔から好きで、ことにグールドの演奏を気に入っていた。階段を下りてくるように音が下降してくるところが3回続くところが、それぞれのピアニストによってちがうんだけれど、グールドの噛んで含めるような弾き方が気にいっている。
このゼルキン盤もそれに近いようだ。グールドよりも硬いけれど、3回とも階段を異なる表情で降りてくる。楽譜の読みが深いのだ。
これはいい演奏。
1970年12月、ニューヨーク、コロンビア30番街スタジオでの録音。
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