ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」 グールド(Pf) ハインツ・ウンガー指揮CBC交響楽団宮沢章夫の「『資本論』も読む」を読む。
今年の1月頃からデカルトの「方法序説」を読み始めたのだが、半分くらい進んだところで立ち止まったままだ。
最初は新鮮な緊張感があってわりと順調に読み進めていくことができたが、一旦やめてしまうと再び入ることがなかなかできない。読むのにパワーが要るので、億劫なのである。たった1センチ程度の厚さだからすぐ終わるだろうと考えていたのは甘かった。学生時代に「方法序説」に挫折した友人のことを笑うことはできないのだった。
1センチの哲学書に難儀している者に「資本論」はハードルが高い。高すぎて、挑戦する気にもならないのが正直なところだ。
その高峰に挑むヒトが世間にはいるもので、その志だけでも私は尊敬に値すると思う。
「読んでこその『資本論』だ。理解しなければ読んだことにならないのは当然だとしても、理解したからいいわけでもないのは、だったら「解説書」のたぐいを読めばいいからで、繰り返すようだが、言葉を味わうのである。そこにこそ、いま『資本論』を読む醍醐味がある」
『資本論』を『方法序説』に読み替えてみる。翻訳というフィルターはあるにせよ、原本を読むことの意義はこの言葉に集約されているように思う。
デカルトに再挑戦しなければ。
年に何回か、むしょうに聴きたくなる曲がある。
私にとってそれは、シューベルトの「八重奏曲」や「水車小屋の娘」、マーラーの第3シンフォニー、ストラヴィンスキーの「春の祭典」だったりするのだが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲もそのうちのひとつだ。しかも「3番」に限って。
この曲は、クラシック音楽を聴き始めた頃にハマッてしまい、一時期は毎日のように聴いていた。エアチェックしたカセットテープを何度も繰り返し聴いた。ピアノは内田光子、オケはN饗だったか東フィルだったか。今思えば、モノラルのラジカセでよく聴いたものだ。
アシュケナージとショルティによる演奏を聴く機会があったのはその頃だった。その鮮やかさにたまげた。
音の美しさ、節回しの切れ味、ああこういうものがメジャーの演奏なのかと思い知らされたのだった。
思えば、演奏者による演奏の違いのようなものを知り始めたのが、この頃からだったのかも知れない。
で、今日むしょうに聴きたくなったので取り出したのが、グールドとウンガーによる演奏。
このレコードがあることを覚えていなかったし、聴いた覚えもない。グールド好きの友人からもらったものの、まだ聴いたことがないのだった。
針を落としてみると、冒頭からなかなかのもの。いくぶん速めで端正な第1主題とぐっとテンポを落とした第2主題との対比がよく、なにやら巨匠風である。
やがてピアノがはいってくると、いままで穏健だった景色がめくるめく速さで展開し始める。ひとつひとつ粒だったピアノが美しい。速い箇所でも、一音がはっきり聴き取ることができる。その頂点はカデンツァ。リズムの切れ味と快速感がなんとも心地よい。左手の音が強いから、そのぶん音の量が多く聴こえるし、生き生きとしているのだろう。
ウンガーは1895年にベルリンで生まれた指揮者。戦後にカナダに渡り、トロント交響楽団の音楽監督を務めたとのこと。ピアノと息の合った堅実な指揮ぶりがいい。
1955年2月21日、トロントでの録音。
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