内田百閒の「第二阿房列車」を読む。
相変わらず、なにも目的のない鉄道列車の旅。子分のヒマラヤ山系を連れての珍道中。
ここでは、新潟、横手、京都、博多、八代、熊本、別府、といったところを訪れる。
百閒先生、特急「はと」に乗ってこんなことを考える。
「何もすることがない。手足を動かす用事はない。ただ考えている。何を考えるかと云うに、なんにもする事がないと云うことを考える。そうしてその事を味わう。何もする事がなければ、どうするかと云うに、どうもしないだけである」。
ここに、人生の奥義をみた。
大げさかな。
インバルの指揮でベルリオーズの「キリストの幼年時代」を聴く。
この曲は「ヘロデ王の夢」、「エジプトへの避難」、「サイスへの到着」の3部からなる。もともと、まとめて作曲されたものではなかった。
逸話がある。
最初に作曲されたのは、第2部のなかの「聖家族への羊飼いたちの別れ」という3分程度の小品であり、これを彼は「ピエール・デュクレ」なる架空の人物が1679年に作曲した曲だとして1850年に演奏し、好評を得た。
「もし、最初から自分の作品だとして発表したならば、こんなに温かくは迎えられなかっただろう」とベルリオーズは述懐している。
改めて全曲の初演は1854年にパリで、作曲者の指揮で行われた。
ことほどさように、この音楽は、ベルリオーズとしては控えめなオーケストレーションが施され、古風にシンプルに作られている。「ファウストの劫罰」や「レクイエム」のような音楽とはスタイルが異なる。
管弦楽が爆発するシーンがないので、先のふたつに比べてしまうと、退屈感は否めない。ただ、美しい個所もないことはない。
「夜の行進」は弦楽器が織りなすフーガが先鋭的。ベルリオーズの匂いがぷんぷんする。「ベツレヘムの馬小屋」は、ソプラノとバリトンの二重唱。歌の美しさにオーボエの伴奏が彩りを添え、とても心地が良い。第2部に入ると例の「羊飼いの聖家族への別れ」がいい。オーボエとクラリネットのリトルネロに続く合唱は牧歌的な美しさ。この演奏だと全曲で90分強であるが、2部は14分程度と短い。
3部は「三日間というもの」という語り手の独唱で始まる。テノールはジョン・エイラー、優れている。「若いイスマエル人たちによって奏される二つのフルートとハープのためのトリオ」は文字通りの音楽だが、全曲の白眉とも言えるかもしれない。幻想的であり自然な抑揚が心地よい。ここには天才のインスピレーションがある。
インバルの指揮は熱のこもったいいものだと思う。オケは弦楽器が艶やかで力強い。録音のせいもあろうが、ヴァイオリンがキラキラと輝く。
合唱と歌手陣は安定している。おフランスの香りは薄いものの、丁寧に仕上げられている。
フランクフルト放送交響楽団
ハンブルクNDR合唱団
ケルン放送合唱団
マルガリータ・ツィンマーマン(S)
ジョン・エイラー(T)
アイケ・ヴィルム・シュルテ(BR)
スタンフォード・ディーン(BS)
フィリップ・カン(BS)
1989年5-6月、フランクフルト、アルテ・オパーでの録音。
未明の雷。
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