レヴァイン指揮ベルリン・フィル小谷野敦の「日本文化論のインチキ」を読む。
相変わらずいきり立っている。
岸田秀、河合隼雄、土居健郎から、ラカン、ドゥルーズ、デリダ、はてはヘーゲル、ウェーバーまで、俺の通るところに立ちはだかるものは、誰でもおかまいなくたたっ斬る。
なんだか批判のための批判のような気がしないでもないと思うものの、そもそもデリダもヘーゲルも実際のところいいのか悪いのかよくわからないので、なんとも言いようがないとも言える。
そのなかで、「お江戸はよかった」式の議論の対する批判は、よくわかった。
「電気もガスもないのである。冬の朝など、寒い中を起きて火を熾し、湯を沸かすところから始ま」るし、
「銭湯は混浴だったというので、日本人は女の裸体を見ても興奮しなかったなどと言う者が未だにいるのだが、昼間の露天風呂ならいざ知らず、建物内の銭湯などというものは、薄暗くて他人の裸など見えなかったのだ」。
そりゃそうかもね。
レヴァインがベルリン・フィルを振った「幻想」は、やや重め。カラヤン色が濃厚な時代のベルリンだからいたしかたないか。
いたしかたないとかのたまっているのは、レヴァインが70年代にシカゴやフィラデルフィアを振った頃のような切れ味を期待したからなのだ。
ベルリンを腕力でねじ伏せる。そういう妄想を描いたが、現実はなるようにしかならない。
冒頭の、ネットリした分厚い弦を聴いて、これは勝負あったと。香りに乏しい。
メリハリを効かせて、副声部を際立たせた鮮やかなマーラーを演奏した指揮者とは、ちょっと別人の趣き。
とはいえ、5楽章の鐘は妙におどろおどろしくて面白いし、ラストの盛り上がりはなかなかパンチがきいていて迫力がある。
終盤にきて盛り返したけれど、いま一歩追いつけなかった試合のような演奏(なんのこっちゃ)。
1990年2月、ベルリン・イエス・キリスト教会での録音。
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「昔が良かった」的な議論、昔からあるようですね。「最近の若者は」に共通するかもしれませんね。こういうオトナにはなりたくないなーと思っていましたが、なりつつあります…。
レヴァインはバレンボイムあたりと同年代でしたね。一番脂ののった時期なのでしょう。でも新しいCDはでませんねえ。
彼の70年代の演奏を気に入っています。
シカゴ、ロンドン、そしてフィラデルフィア。
すばらしいですね。
「昔はよかったと」(爆)