ヘンデル「鍵盤のための組曲」 リヒテル(Pf)勢古浩爾の「ぶざまな人生」を読む。
他の著作の引用が多い。引用を梃子にして自説を開陳するところがこの著者の得意技であるが、いいことも言っている。
『基本的に学力なんかはどうでもいい。人生にとって必要なのは、互いの馬の骨性(「自己」)を世界で唯一の存在(「自己」)だと遇しあうことを身体化された型として憶えこむことである』。
自分の存在は他人からみれば馬の骨でしかない。互いにそれを尊重することを身体で覚えることが大事だと。
私はたまに忘れてしまうのだ。
リヒテルの鍵盤組曲を聴く。
このCDでは、彼とガヴリーロフがだいたい半分づつ分け合って演奏している。ガヴリーロフのものも悪くないみたいだけど、交互に聴くとわけがわからなくなってしまうので、まずはリヒテルが弾いたものをまとめて聴いている。
このCDをipodに入れたのがかれこれ2ヶ月ほど前。ほぼ毎日聴いているのだが、最近になってようやく面白くなってきた。
ヘンデルが深いのか、曲がとっつきにくいのか、私の理解が遅いのか。
なかなか馴染めなかったせいか、面白く感じられるようになってからは、何度聴いても飽きることがない。
毎日聴いてもまだ飽きない。
組曲2番ヘ長調(3:28,2:13,1:45,2:34)
組曲3番ニ短調(1:03,2:21,3:30,1:49,10:23,4:36)
組曲5番ホ長調(1:49,4:47,2:05,4:40)
組曲8番ヘ短調(2:48,3:05,2:51,1:54,2:14)
2番は4つの曲からなる。荘重な出だしから最後のフーガまで一気に駆け抜ける。
3番は6曲。序奏のような1曲目から苦みばしった味わいが深い。5曲目は10分を要する変奏曲であり、波乱万丈の大河ドラマを思わせるようなドラマティックな音楽になっている。全体に動きが激しい。
5番は4曲。2曲目はけだるい昼下がりのような落ち着き。スタイルは違うものの、聴いて受ける感覚がシューベルトのアンダンテによく似ているようだ。4曲目は「調子のよい鍛冶屋」として有名。リヒテルの手にかかると、なんと知的で高貴な鍛冶屋であることか。
8番は5曲。これまたアンニュイな出だし。18世紀前半の音楽というよりも、前期ドイツロマン派のような香りが濃厚。後半のたたみかけるような激しさにもそれを感じる。
リヒテルのピアノは質実剛健。軽薄さのかけらもない大真面目なもの。グラウンドでは決して歯を見せない。
そのプレーに迷いなし。難しいゴロを真正面でさばくので、地味に見えるけれどもその仕事は固い。
1979年6~7月、トゥールーズでの録音。
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