ヘンデル「メサイア」 サージェント指揮リヴァプール・フィル他四方田犬彦の「ハイスクール1968」を読む。
自らの高校時代を回想した批評的自伝。
時代は、学生運動まっさかり。えもいわれぬエネルギーが街に充満していた頃、という感じ。
著者の、本や映画に対する健啖ぶりが面白い。
大江健三郎、寺山修二、ジュネ、セリーヌ、大島渚、ゴダール、パラジャーノフ…。
ラディカルな思想で同時代に深い影響を与えた作家たち、その活動をリアルタイムでみてきた著者の若々しい批評眼。
距離を置いてはいるが、激動の時代を生きていた若者の、あがきと不安感が伝わってくる。
当時は学校をさんざんサボったなんて言ってはいるが、進学校に身をおき、浪人はするものの東大にはいって今に至るわけだから、まあいい人生なのじゃないだろうか、なんて思うが、傍からはわからないか…。
もっとも、失敗したヒトの自伝なんて出ないだろうからね。
ヘンデルの「メサイア」、これはサージェント版による演奏。
冒頭の「シンフォニー」がやたらと遅い。ずっこけるくらい。
サージェント 5'19"
ショルティ 3'25"
リヒター(ロンドン) 3'25"
C・デイヴィス(バイエルン) 3'51"
パロット 3'38"
今まで聴いた演奏の5割増し。この1曲目を聴いて、これからどうなっちゃうのだろうと、不安半分オモシロ半分で期待したが、2曲目以降は落ち着いてくる。だんだん聴きなれたテンポに変わっていく。
曲によってテンポの変化はあるものの、それ以降はわりと安定している。
1959年といえば、モダン楽器全盛であり、このやりかたを疑う余地もない時代であっただろう。オケも合唱も、分厚い響きでこってりとしている。リヒターはもちろん、ショルティやC・デイヴィスに比べても随分と厚ぼったい。
これは、編成の大きさもあるけれど、主にアンサンブルの緩さにあるようだ。
オケも合唱も、緻密というには程遠い、大雑把な弾きぶり歌いぶりだ。音が多く聴こえる。通常、合奏がキッチリしていれば音は少なく密度濃く聴こえるものだが、この演奏の音は多いのだ。合奏が荒っぽいぶん、音が拡散しているから、多く聴こえるのである。
なので、精密さからは程遠いものの、結果として大らかな音楽になっている。最近の演奏で聴かれるような神経質さは微塵もない。
それは、奏者みんなに浸透している。
独唱による歌は、彫りが深く、とてもねっとりしている。細部にはこだわらない線の太さがある。
合唱も同じで、大人数で歌っていると思われる歌は力強く伸びやかだ。その中でも重量級なのは「真に彼はわれわれの悲しみに耐えられ」で、これは圧巻。この世のものではないものが降臨するかのごとくオドロオドロしい雰囲気をたっぷりと醸し出していて背筋が寒くなる。古楽器系の演奏ではおよそ考えられない濃厚さが充満している。
けっして小回りのきいた歌ではないけれど、厚みと勢いがある。実際に歌ってみたら楽しいだろうと思わせる合唱なのである。荒削りでおおらか。
終盤近くの、「ラッパが鳴りて」のトランペットとテノールの競演がききもの。両者ともにまったく屈託というものがない。高らかに鳴り響く。トランペットのクレジットはないが、吹きぶり優秀。
全体に、適度に緩いところが心地いい演奏なのであった。
エルシー・モリソン(ソプラノ)
マージョリー・トーマス(コントラルト)
リチャード・ルイス(テノール)
ジェームス・ミリガン(バス)
マルコム・サージェント指揮
ロイヤル・リヴァプール・フィル
ハッダースフィールド合唱協会
1959年4月~6月、ロンドンでの録音。
PR