朝比奈隆の若い頃の人生は少々変わっている。
1908年に東京に生まれた朝比奈は高等学校までをそこで過ごし、
京都帝国大学に入学。卒業後は阪急電鉄に入社するが二年で辞め、
再度京都大学で美学を学ぶ。
そして音楽をメッテルやローゼンシュトックに師事し、主に
ヴァイオリニストとして活動を始める。
やがて、1937年に京大オケを振って指揮者としてデビューする。
第二次対戦中は中国に過ごし、上海やハルビンの楽団を指揮するが、
帰国後の1947年に関西交響楽団を創設し晩年に至る。
鉄道会社に入った挙げ句に再度音楽の勉強をし直すところなんかは、
ダイナミックで勇気ある選択であり、特に今の若い音楽家にはあまり
いないのではないか。
彼に関する本を読んだり、インタビューを見たことがあるが、
この人は基本的にラーメン好きで大酒飲みの関西オヤジらしい。
親近感を持てるヒトだ。
ところで、朝比奈は、ブルックナーの演奏だけで音楽史に残る仕事を
してしまった。
私が生で聴くことができたのは、第7交響曲(大フィル、東フィル)
とミサ曲ヘ短調(新日フィル)だった。
共通して強く印象に残ったことがふたつある。
ひとつはオーケストラがミスをしないことだった。
東京フィルで他の指揮者がブルックナーやるのを何度か聴いたこと
があるが、一曲について必ず三、四回は金管楽器がミスをやらかす
のである。
ブルックナーの金管楽器は簡単ではない(息が長い)、ということ
だろうと思うのだが、大阪フィル以外のオケが不思議と流暢に演奏
するのである。
もうひとつは、聴いた後味が似ているということである。
「ヘ短調」などは混成合唱が入っているのに関わらず、「第七」と
同じあと味なのである。これは曲よりも朝比奈の個性が強く出ている、
ということではなく朝比奈のブルックナー演奏は、ブルックナー
以外のなにものでもない、ということなのではないか。
ああ、朝比奈に間に合ってよかった!
※この混声合唱には、小生の母親が参加してます(余談ですが…)。
最近、新進の批評家の中に朝比奈のブルックナーを批判する声が強い
ようだが、朝比奈は最初からヴァントのような論理的な構築を
目指しているわけではない。
「テンポは遅く、音はでかく」。
極めて明快だ。
小生は、ヴァントよりも、朝比奈のブルックナーのほうが好きだ。
なぜなら、お腹がいっぱいになるからである。
朝比奈のブルックナーは、味が濃く肉の分厚いカツ丼の大盛り、
といえよう(コーホー風)。
しかるに、月曜日の夜はカツ丼を食いつつ、朝比奈のブルックナーに
思いをはせるのである。
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