川上弘美の「なんとなくな日々」を読む。
これは先週に読んだ「ゆっくりさよならをとなえる」と同様に、本や食べ物について綴ったエッセイ。
あえて本と食べ物に拘っているわけではなく、彼女の興味がそれらにあることが如実にわかる。
それらはもちろん面白いが、今回は月食の話が印象的だった。
2000年7月の月食。
これを観た後に、著者はこう語る。
「私はこの星の上で小さく刹那的に生きているし、月や太陽やたくさんの星々は、あの宇宙空間で大きく規則正しく営々と存在しているわけだ。少しぼうっとした気分になって、それからすぐにその気分も忘れて、昼食のそうめんをゆで始めた。窓の外には、入道雲がもくもくとわいている」。
宇宙と日常生活についての対比を、これほど端的に鮮やかに描いた文章は珍しいのではないか。宇宙に比べたら我々の生活は刹那的にすぎない。それを思い知らされる。
ライトとボストン・チェンバー・プレイヤーズによるブラームスのクラリネット五重奏曲を聴く。
ハロルド・ライトは、1970年にボストン交響楽団の首席奏者になり、1993年に急逝するまでそこを務めたクラリネット奏者。
ボストン・チェンバーは言うまでもなく、ボストン交響楽団の腕利きの演奏家たちで構成されている。
なので、この録音はライト晩年の録音ということになる。
音がまずいい。適度な湿り気のある、色っぽい音。夜の帳がおりたとき、空気が地上の植物たちに対して降り注ぐ水滴のよう。
ヘッドフォンで聴くと、それはいっそう生々しい。あたかも耳元で囁かれる愛の言葉のようである。
ことにアダージョ楽章の憂愁に満ちた吹きぶりは、心をじんわりと締めつけられる。
ボストンのメンバーによるアンサンブルもいい。しっとりしている。木の香りが漂ってくる。
カップリングはモーツアルトの同じ編成の曲。こちらも悪くないが、ライトのこの音色は、ブラームスのほうがより合っている気がする。
ハロルド・ライト(クラリネット)
マルコム・ロウ(ヴァイオリン)
ローラ・パーク(ヴァイオリン)
バートン・ファイン(ヴィオラ)
ジュールズ・エスキン(チェロ)
1993年5月、ボストン、シンフォニー・ホールでの録音。
ユーカリの木と初夏の空。
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