バルトーク ピアノ協奏曲第1,2番 ポリーニ(Pf) アバド指揮シカゴ交響楽団マーチン・スコセッシ監督の「ディパーデッド」を観る。
マフィアと警察の、ふたりのスパイの話。スコセッシらしい男くさい映画。
ディカプリオ、デイモン、ニコルソンの看板3俳優が、それぞれ持ち味を出していて、みせてくれる。
州警察の上層部たちもいい味を出している。
出来すぎた話ではあるけれども、役者のうまさと演出の堅さで最後まで飽きさせない。
2時間半の長尺があっという間に駆け抜ける。
名作「グッド・フェローズ」に比肩する作品である。
ポリーニのバルトーク。
一時期、「マン・マシーン・インターフェース」と呼ばれたこともあるポリーニの、超絶技巧を惜しみなく放っていた、70年代後期の録音である。
少し前のことだが、彼のバルトークを聴くチャンスがあった。「ブーレーズ・フェスティバル」である。
この日、サントリーホールでブーレーズの指揮するロンドン交響楽団の伴奏で、この2番を演奏する予定であった。とても楽しみにしていたのだ。
ところが、当日になって、バルトークの協奏曲はキャンセルになった。代わりにシェーンベルクの独奏曲を演奏することになったのだ。
これにはがっかりだった。
いっそのこと、演奏会を中止して、払い戻ししてくれたほうがよかったとすら思ったものだ。
これは、象徴的な出来事だったのかも知れない。
このときすでに、彼にはバルトークを弾ききる力はなかったのじゃないだろうか。
事実、90年代以降の彼の録音には、一時期の超絶的機械的技巧は影を潜めている。技巧で勝負しなくなった彼は、どこへ行こうとしているのだろうか。
彼の華である70年代、このバルトークは、その絶頂期の最後期にものにあたる。
切れ味、透明感、迫力、そしてハッタリがぞんぶんに効いていて、技巧がストレートに冴え渡っている。
ピアノは打楽器なのだということを、おもい知らせてくれる曲と演奏なのだ。
バケツの底のようなシカゴ饗のティンパニが、精密な演奏のなかに野趣を添えている。
1977年、シカゴでの録音。
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