白石一文の「翼」を読む。
これは30代と思われる独身のキャリア・ウーマンの恋を描いた長編小説。
前半は、一人称か三人称かあいまいな書きぶりなのでやや退屈したが、半ば以降は一気に読まさせられる。
人生の意味、とは白石文学のひとつのテーマだと思うが、これは恋に焦点を当てて描かれる。重要なセリフの多くは、登場人物の医者である男が語っている。
この男は妻子持ちであるが、初恋相手である主人公のことを忘れられない。今すぐに離婚して一緒になろうと再三に渡って迫る。
とはいえ、先日まで放映していたらしいテレビ・ドラマの「昼顔」のように、プライドや愛欲に振り回されるようなものではなく、ふたりは寝たこともない。
医者のことは、世間知らずと言ってしまえば簡単だ。だが、切り捨ててしまうにはあまりに直情的。文章中に、人間を動かすものは知性ではなく感情、と言わせている。これもセンチメントだが、やはり捨て置けない何かがある。
白石らしい青臭くも純情な小説。
コンスタンチン・シルヴェストリの指揮で、ドヴォルザークの交響曲7番を聴く。
シルヴェストリのこの選集は、かねてから気になっていたもの。このたび神保町の「ディスク・ユニオン」で発見したので何も考えずに購入した。交響曲のような大曲からハンガリー、スラヴ舞曲などの小品も含まれていて、演目としては充実している。まずは1枚目のドヴォルザークから聴き始めた。ウイーン・フィルを振ったものだ。
出だしからテンポが安定しない。オーケストラがつんのめっている。船酔いしたかのような感覚を覚える。それは、楽章を追うごとに激しくなり、ラストのほうではなにか特別な催しのような盛り上がりを見せてドサクサまぎれに終結する。
なんなんだ、この何でもアリ感は。
現代でも、ライヴであったならこういうこともなくはないだろうと思うけど、これはセッション録音である。
演奏の善し悪しを超えて、自由気ままさが眩しすぎる。
ウイーン・フィルを振ってメジャー録音デビューをしたリッカルド・シャイーは、当時のコンサート・マスターであったライナー・キュッヘルに「あんなものはチャイコフスキーの音ではない」というようなことを言われている。
では、このシルヴェストリの演奏を弾いたウイーン・フィルの奏者はどう思ったことだろう。
今となっては定かではない。
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