光文社古典新訳文庫、創元推理文庫と並んで、新潮文庫から新訳ものがまとまって出ている。その多くはいままで出ていた作品に対してのもののようなので、驚くような新味はないものの、現代風に味つけし直されていると思うと、なんとはなしに手に取りやすい。
O・ヘンリー傑作選Ⅰ(小川高義訳)から、「賢者の贈りもの」を読む。
これはディケンズの「クリスマス・キャロル」と並んでクリスマスものの鉄板とも言える作品。今回は、たまたまこの時期に読んだというだけであるが、やはりなにか、感慨深いものがある。ドトールで読んで涙が出そうになった。
ストーリーはあなたもご存じだろうから書かない。その代わり、気に入った箇所を引用させて頂く。
デラの髪。
「たとえばシバの女王が通気孔をはさんだ向かいの部屋に住んでいたとして、デラが窓の風に濡れ髪を乾かそうとするならば、それだけで女王の財宝も形無しになっただろう」
ジムの金時計。
「もしソロモン王がアパートの管理人で、地下室が宝物庫になっていたとしても、通りかかるジムが金時計を出すだけで、王はくやしがって髭をひねったことだろう」
オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏で、チャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」を聴く。
先週の5番に続いて「悲愴」を聴いた。これもいい。
この曲は、ある程度の指揮者がいいオーケストラを振ったとしても、なかなかうまくいかない。必死の形相で覚悟を決めた指揮に、いいオーケストラが必要である。
カラヤンは見た目スマートであるが、この曲に対しては気合いが入っている。フィルハーモニア管弦楽団との演奏は凄いし、71年のベルリン・フィルとのEMI録音はカロリーが高すぎて鼻血が出そうになる。だてに何度も録音したわけじゃない。
ムラヴィンスキーは冷静にみえるが、ただならぬ殺気を持つ演奏。60年のレニングラード・フィルとの演奏は、冷たい狂気を孕んだ異形の芸術。忘れられない。
このオーマンディ盤も、いっけん醒めている。指揮者は感情をあらわにせず、テンポをいじくらず淡々と進める。しかし、ダイナミックは激しい。
3楽章は、チャイコフスキーが才能の全てを叩きこんだ畢生の名曲である。わけのわからぬ情熱と苛立ちと暴力がここにはある。オーマンディはオーケストラを広く深く解放させる。まなざしは冷ややかなのに、音色は豊穣にして華美。ティンパニと大太鼓は容赦ない。最後は皆殺し。
終楽章は甘い。フィラデルフィア管弦楽団の弦がいい。ふるふるとみずみずしく、後味が爽やか。この音楽はただでさえ感傷的なので、控えめがちょうどいい。音そのもので勝負するさまが潔い。
ムラヴィンスキーとカラヤン、そしてオーマンディは、チャイコフスキーの哀しみを看破した。
1968年5月、フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージックでの録音。
おでんとツイッター始めました!ヘンリー。
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