レヴァイン指揮ウイーン・フィル丸谷才一の「食通知ったかぶり」を読む。
近頃、B級・C級を称する食べ物本は多く出ているが、A級はあんがい少ない。店を知ったところでそんなにしょっちゅう行けるわけではないという庶民の思いがそうさせるのか。私もそうだ。めったに行くことのないA級の店は、本を読んで、こういうものもあるのかあとただ夢想する。
伊賀牛のバター焼き。
「牛肉の熱さと大根おろしの冷たさ、バターおよび脂身でいためた肉のしつこさと大根おろしの爽涼といふ、二重の衝突のかもしだす複雑な効果があつて、わたしはさながら年上の女の手練手管に翻弄される少年のやうにのぼせあがつたのである。」
志摩観光ホテルのオードブル。
「殻にくつついてちよつと残るのはどう考へても惜しいことだ。これが残らないやうにする方法を発明した人は人類文化に貢献したことになるからノーベル賞ものだ、などと高級な冥想に耽り、やがてもう一皿、つまりもう半ダースの生牡蠣を注文した。」
そうそう。B・C級の私はアサリを食っていつもそう思うのだ。
レヴァインによる「白鳥の湖」は、折り目正しいアンサンブルと濃厚な響きが魅力。
オーボエとフルートのソロ、うんと濃くしたカルピスのような甘みと厚み。もともと木目のように暖かいウイーンの音が、それを保ちつつ人工的なまでに洗練され尽くしている。技術的な点でも水際立っているのじゃないか。
絹のような弦の響きもじつにおいしい。レヴァインの棒でもって整備された合奏によって、その質感の重みがより映えるように感じる。
高質ななめし皮を手にしたような吸いつくような触り心地。それがときおりキラリと光る。
ただ、この演奏いいところばかりじゃない。
副声部が聴きとりづらいのだ。最初はIpodで聴いていたからそうなのかとも思ったが、家で比較的大音量を出しても同じ。
明瞭なのはメインのテーマばかりなので、平板に聴こえる。
これは指揮者のせいなのか、もしくは録音によるものか。全曲にわたって、ウイーン・フィルがいい味を出しているのに、そこが惜しい。
1992年11月、ウイーンでの録音。
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食べ歩きの本でも、ラーメンとかどんぶりであれば、ちょっと並ぶ覚悟があれば行けるという余裕がありますが、この丸谷のはいわゆる一流店の料理が多いので、敷居が高い感じがします。
レヴァインのチャイコフスキー、それぞれのパートが鮮明にとらえられているので、音そのものはよいような気がします。ですが、副声部がとても聴こえにくい。マイクのおきかたに問題があるのか、指揮者のバランス感覚に問題があるのか、判然としません。