モーリス・ジャンドロン(Vc) アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団「『勝ち組』の構想力」は田原総一朗と、オーケン(誰も言ってないか)こと大前研一の対談集。対談といっても、もっぱら田原の問いかけにオーケンが答えるといったスタイルになっている。
「勝ち組」という、なにやら不穏なワードが用いられているが、要領よく世の中を渡るためのHOWTOみたいなセコい話を扱ったものではない。これから日本はどうしていけばいいのかを、熱く語った本である。
ときにはスケールが大きすぎて「オイオイそれはやりすぎだよ、オーケン」なんて思うこともしばしばだ。コメ作りを含めた農業を、オーストラリアやアルゼンチンなどに移行したほうがいいという意見には、さすがに田原が激しく喰いついている。食糧自給率よりもまず日本人の胃袋を満たすことを優先させるという理屈は、合理的には違いない。だけど、日本の文化を守らなければといったような「心情的にできかねる」というのが、自分を含めた大方の見方じゃないだろうか。
もちろん、「合理的」は捨てたものではない。
3月11日の地震で首都圏の交通がマヒした時につくづく感じたのは、家に帰れない恐怖だった。空気があることが当たり前のように、いつも動いている電車。それが動かない。夜は特に困る。群衆の一員としてテクテク歩きながら思い出したのは、坂口安吾のセリフ。「京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ」。仏像はともかく、電車には参った。このときほど安吾の言葉を実感したことはない。
もっとも、これと農業とはまた別の話。オーケンと一緒に考えよう。
モーリス・ジャンドロンをまともに聴きだしたのは、ここ数年のこと。音楽はともかく、顔は以前から写真で知っていて、忘れられない。あたかもフランケンシュタインのようなゴツい風貌は、インパクトがありすぎた。チェロを持っているからどうも音楽家っぽいが、知れたものではない。シャバに出したらまずいだろう。言い訳無用の悪人ヅラにドン引きであった。それが今まで聴いてこなかった原因と思われる。もっとも、その頃に見たのはたまたま晩年の写真であり、若い頃はじつは全然怖くない、というか上品そうな紳士であることを知ったのはごく最近のことである。
このCDはどちらかといえばアンセルメの「白鳥の湖」を聴きたくて手に入れたもので、たまたまジャンドロンが付いてきた、といった感じ。でも、これは当たりというか珠玉の演奏である。
チェロという楽器は、古い録音でも聴くに耐えうるものが多いが、これもじゅうぶん。マイクが近いのか、チェロの音がとても生々しい。松脂のざらついた触感がリアルに伝わってくる。緩急おりまぜたテクニックは軽やかで、自然にわき出るような細かなニュアンスがいい。高貴ななかに淡い哀感が匂い立つ。オーケストラは、奥に引っ込み気味。
顔は怖いが、いいチェリストである。
1953年11月、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホールでの録音。
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