シューマン ピアノ・ソナタ2番 アルゲリッチ(Pf)福田和也の「乃木希典」を読む。
著者が乃木に対する思いは、以下の文章によってあらわされていると思う。
「有能であることは、そんなにたいしたことなのだろうか。どうでもいいような気もしないでもない」。
「責任のある大人は、自分が疑っていてもある大義をいいつのる責任を負う。しかしまた、根のところではそれが仮象だと弁えていなければならない。乃木と云う人は、自分を、そのために死ぬことができる何ものかに作り上げようとした。死処に赴かしめる、徳目の権化になろうとした」。
これはある意味で、司馬史観に対抗する考えだと思う。
「坂の上の雲」の印象がなにしろ強いので(あなたもそうだろうか)、乃木は「無能」だとする思いが根をはっている。
そんななか、乃木が見出した「情」のようなものの価値をすくいあげているところに、本書の値打ちがある。
「坂の上の雲」においては過激なまでに禁欲的な人物として描かれていたが、ドイツ留学前までは放蕩三昧の生活だったという。どんな理由で変わったのか、ここでは明らかにされていない。
アルゲリッチのシューマンを聴く。
めくるめくテンポで駆け抜けるピアノ。
音そのものは、特段に美しいというほどではない。けれど、疾風のような音の連なりからは、シューマンの霊感めいたものが、じわじわとにじみ出ている。
シューマンはこのソナタを作るにあたって、シューベルトのソナタのように、全体の論理的な構成力を意識して踏まえたという。ソナタという形式であるから当然かもしれない。
けれども、出てくるメロディー、ハーモニーの感触は、彼の標題つきの小品に通じるものだ。
幻想味があって、突飛で、はかない。
アルゲリッチはわりとシューマンの録音が多いので、得意としているのかもしれない。いままで何曲か聴いた感じでは、どれも独特のインスピレーションに富んでいてステキだ。
1971年6月、ミュンヘンでの録音。
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