シューマン ピアノ協奏曲 コルトー(Pf) フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団シューマンのピアノ協奏曲を、感傷的に演奏しようと思えば、いくらでも甘く味付けできるだろう。
メランコリックな風情が濃厚に漂う作品である。
ただ、1級といわれるピアニストは、ちょっと甘いかな、というところで留めて、全体的にはビターな風味に仕上げることが多いようである。
リヒテルしかり、ミケランジェリしかり、ルービンシュタインもそうである。彼らの演奏は、フォルムがしっかりとした、いい演奏である。そこには、大人の作法を感じる。
ピアニストという人種が、普通の勤め人と比べて変人が多いとはいうものの、いざ弾きはじめたら、相応の枠組みの中のディテイルで勝負していくものである。
それが聴き手にとっては安心なのである。
でも、コルトーのこの演奏は違う。
なんでもありである。
甘いとか辛いとか、遅いとか速いとかいうことを突き抜けて、神聖とすらいえるぐらい高みにまで達した弾きぶりであるといえる。
テンポの自在な揺れ、そしてこの上なく豊満な音色は、全て、感傷的なものへの熱い情熱に注がれている。
ヨーロッパのお菓子みたいに、脳がしびれるくらいに甘い。
すばらしいのは、感傷的でなにが悪いかと開き直った態度が、毅然としていることだ。まるで後光がさしているようだ。
この曲のレコード史に輝く記念碑的変態演奏として忘れがたい1枚である。
ときにコルトー74歳。なにをやっても許される年頃かと思ったら、意外に若い。
ミスタッチは随所にあるものの、コルトーにとってそれは今に始まったことではないので、気にすることはない。
清濁併せもつこの演奏からは、ジンセイの悲哀を存分に味わうことができる。
忘れてならないのは、コルトーのピアノに熱くこたえるフリッチャイだ。奔放すぎるピアノに見事についていっている。これは名人芸である。
この演奏に、クラシック音楽を聴くひとつの醍醐味を感じないわけにいかないのだ。
1951年、ベルリンでの録音。
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