小林健三の「SEの35歳の壁」を読む。
著者は、三菱電機で長らく製造業のシステム・エンジニアをやってきた人物。子会社への出向を機にリサーチ会社のアナリストとして活躍、その後独立し、情報システム関連の会社を経営している。
私が新卒入社したころは、SEは35歳が定年だと言われていた。新しい技術の波についていきにくくなることと、体力的にもたないことが要因と言われていた。
そこで著者は25歳、30歳、35歳というそれぞれの区切りまでにやっておくべき事柄を挙げる。これがなかなかハードルが高い。たしかに、これらをクリアーすればどこにでも通用するSEになれるかもしれない。私などは40を過ぎてからようやく情報処理技術者の資格をとった。
35歳はひとつの岐路である。管理職になるか専門職になるかの。著者は、プレイング・マネージャになることもひとつの選択肢だとしている。これは、技術的な指導ができるプロジェクトマネージャのことを指す。プロジェクト内においては管理をする立場であるが、立ち位置はあくまで現場。
現場で起こるのは事件だけじゃない。
アファナシエフのピアノで、シューベルトのピアノ・ソナタ17番を聴く。
彼のピアノを全て聴いたわけではないが、多くは(ベートーヴェンの後期のソナタ、シューベルトの18、ブラームスの小品、「クライスレリアーナ」、「子供の情景」)たいてい陰鬱で重たい空気で覆われている。もしかしたらそれが作曲家が望んだ音楽なのかもしれないが、聴き通すのはいささか難儀だ。辛口すぎる。
だから、この曲の演奏でもやはりそういった音世界が繰り広げられるのかと思っていた。果たして、予想は裏切られた。いい意味で。
いつもは苦虫を噛み潰しているようなアファナシエフが、ここでは笑みを湛えながらピアノを弾いているかのよう。
村上春樹はシューベルトのピアノ・ソナタについてこう語っている。
「むずかしいこと抜きで、我々を温かく迎え入れ、彼の音楽が醸し出す心地よいエーテルの中に、損得抜きで浸らせてくれる。そこにあるのは、中毒的と言ってもいいような特殊な感覚である」(「ソフトな混沌の今日性」)。
この演奏には、その心地よいエーテルが色濃く纏っている。1楽章から音色は明るめでリズムは溌剌。
2楽章は第1主題に独特のアクセントをつけて独自性をもたせているが、まなざしはほっこりと優しい。シューベルトのみならずアファナシエフまでがわたしを温かく迎え入れてくれる。
3楽章は快活。翳りは薄い。フォルテは丸みを帯びていて柔らかい。ピアニストはこの曲を「木馬遊び」と言っている。ハイドンの「時計交響曲」のようなリズムで導かれる4楽章も色調は(アファナシエフにしては)明るい。高音が煌びやか、そして目の覚めるような鮮烈さも持ち合わせている。ゆっくりとした中間部はたっぷりとロマンティック。
この曲の名ディスクのひとつとして挙げたい。
2010年9月、ルガーノ、RTSI放送局アウディトリオでの録音。
動物にも春。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR