太安万侶(池澤夏樹訳)の「古事記」を読む。
言うまでもなく日本最古の書物である。記録によれば、712年に献上されている。
漢字を用いながらも口承文芸の色を濃く味付けしたとは後世の見たてであり、初めて読む者にはあまり深い意味をなさない。また、ひとつの言葉に拘泥して立ち止まっていたらいつ終わるともしれない。だから、訳者が勧めるとおり、お話と文章そのもののダイナミズムを楽しみつつ一気に読んだ次第。
本書は上・中・下の三巻に分かれている。内容はいわゆる神話であるが、後に続くに従ってだんだんと歴史教科書の色合いが強くなっている。ただ、その境界線は微妙。
上巻は、世界が生まれて神が誕生し、イザナキとイザナミによって人間が作られるところから始まり、初代天皇が出現する前夜までの話。その人間誕生のシーンはこのようなもの。
『「俺の身体もむくむくと生まれて、生まれ過ぎて余ったところが一箇所ある。きみの足りないところに俺の余ったところを差し込んで、国を生むというのはどうだろう」と言うと、イザナミは、
「それはよい考えね」と答えた。』
といった具合。大胆で豪快。
中巻は神武天皇から。歴代天皇が誰と結婚し何人の子供を作ったかを細かく記述している。姪や敵の娘と結婚するなど、なんでもアリの様相。
なかでも、15代の応神天皇はすごい。奥さん(妾も含めてだろう)が10人、子供は26人。なかなか絶倫である。
またこの巻にはヤマトタケルの生涯が綴られている。ヤマトヒメから受け継いだ草薙の剣を手にした武勇伝は、後のワーグナー「ジークフリート」を思わせる。とにかくよく人が死ぬ。
下巻は仁徳天皇から崇峻天皇まで。相変わらず奥さんと子供の名前の羅列。正直言って、ツマラナイ。神話でのダイナミックな味わいが薄れている。筆致も精彩を欠いているように思える。
よって、お勧めは上巻と中巻。遠くて近い日本の古代に、理屈抜きで思いを馳せることができる。
なお、訳者の注記が肌理細やかで人情味溢れたものであることは、特筆すべきだろう。
ゼルキンのピアノで、シューベルトのピアノ・ソナタ21番を聴く。
先週に聴いた20番は背筋がピンと伸びた、直線的な演奏だったけれども、この21番は変化球を多用している。録音当時、ゼルキンは72,3歳。彼の場合、技巧が衰えたというよりも、遊びの心のウェイトが高くなったからこういうアプローチになったのじゃないかと推測する。
1楽章は、ゆらりと入ってくる。この手加減、セッションでは珍しい。ライヴならば普通にありそうだが。一気に幽玄の世界に引き込まれる。細部に拘泥した演奏だと言える。強弱とニュアンスを微妙に変える場面が多いあたり、かなり即興的に弾いていたのじゃないかと思われる。テンポは中庸かややゆっくり目。
じっくりと力を溜めて2楽章。ひとつひとつの音に精力が漲っている。件の第2主題は荘重さと軽やかさが同居している。左手が強いぶんだけ腰が低い。ベートーヴェンの「運命」のテーマが後にひく。
3楽章は軽快。細かなテンポの変化が効果的。速いテンポのなかでも表情豊かに弾き切っている。味わい深い。
終楽章は素早い動きのなかに、ひと匙の憂愁が注がれる。高い音は、小さな悲鳴。
録音状態はいまひとつ。全体的にぼやけていて、薄いヴェールを被っているみたい。ただ、ゼルキンの深い息遣いは手に取るようにわかる。
1975年9月、ヴァーモントでの録音。
動物にも春。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR