エドガー・アラン・ポー(巽孝之訳)の「アッシャー家の崩壊」を読む。
ポーの有名な作品は学生時代に一通り読んだのだが、ほとんど内容を忘れ去っている。なので改めて読んでいる。
アッシャー家とは、主人公である男の学生時代の親友の屋敷のこと。神経疾患にかかったという彼を見舞うために屋敷に滞在するがそこで不思議な経験をする、という話。
屋敷のオドロオドロしい描写からして、なにもないわけはないと思わせる。雰囲気はまるでホーンテッド・マンションだが、こちらのユーモアはひどく苦い。お子様には無理。
スティーブン・キングの「シャイニング」はこれをモチーフにしたのだと訳者は推察する。短編なだけに、怖さの瞬発力の高さでは、「アッシャー家」が上だろう。
マルティン・シュタットフェルトのピアノで、シューベルトのピアノ・ソナタ21番を聴く。
ピアノの音がいい。ライナー・ノートには特に謳っていないのでスタインウェイである可能性が強いと思うが、他の奏者で聴くスタインウェイよりも軽やか。現代ピアノの艶やかさを持ちつつ、ときおりハンマー・クラヴィーアのような典雅な響きをだしている。
ミケランジェリが弾くピアノの音色が通常のものとは異なると感じるのと同様に、シュタットフェルトもまたタッチの加減やペダルの操作によって音色を独自たらしめているのだろう。
1楽章は中庸もしくはやや速め。モルト・モデラートである。輪郭がはっきりしている。
2楽章はゆっくり。第2主題になるとスピードをあげ、また左手のリズムを効かせて抑揚のある音楽を醸し出す。分散和音が美しい。
3楽章は快速。ここでも左手が闊達、若者が集う舞踏会のよう。
4楽章も速い。メリハリを強くつけていて爽やか。そう、作曲当時、シューベルトは31歳の若さだった!
本人がライナー・ノートを書いており、これも興味深い。
「シューベルトの音楽を語る時にたびたび使われる『内面的な苦悩』や『憂鬱』という言葉に関しては、私はそれを『メランコリー』つまり『物悲しさ』という言葉で置き換えたいと思う」。
さらに言っている。
シューベルトが生きた時代においては死は身近なものであったから、その意識は現代とは異なる。だからといって彼が死に願望を持っていたのは間違い。
概ね同意。彼は生に対する渇望が大きい人間だった、遺された音楽を聴いてそう思う。
2007年8月、ドイツ、SWRスタジオでの録音。
スワン河。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR