グールド モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスデカルトの「方法序説」(谷川多佳子訳)を読む。
訳注を除けば103ページ、厚さにして0.5センチほどの本を読むとおすのに1年余りかかった。
30分もあれば読み終えてしまうそのへんのビジネス本とは文章の密度が違う。コストパフォーマンスがとても高い。こういう本ばかり書いていたら、読者は次のをなかなか買ってくれないから、商売としてはおいしくないかもしれない。まあ、もともとやたらに売ることを想定した本ではないのだろうから、そのあたりは問題ないのだろうな。なんて、17世紀に生きた哲学者の収入を心配しても仕方がない。
さて、この本は6部にわかれているが「道徳上の規則のいくつか」を記している第3部がわかりやすいし面白い。
内田樹が「デカルト・ラーメン説」といっている箇所であり、以前にもここに書いたことがある。自分の人生が今建て替え中の住宅だと仮定して、その間にどうやって住むか(生きるか)というところの考察だ。
そこで、デカルトは3つの格率を定めて、自分に課そうと試みる。
第1は「わたしの国の法律と慣習に従うこと」。そして「極端からはもっとも遠い、いちばん穏健な意見に従って自分を導いていく」。
第2は「自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと」。
第3は「運命よりもむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めること」。
1と2は、一見すると互いに矛盾するような気がしなくもないが、「穏健」なものとはなにかを規定しているというよりもスタンスの問題なのでかなり幅が広いことと思われ、かなり種類の豊富なラーメンだと言える。
第3については、いまとなってはさして新味のないものとも取られるが、確かな真実味があると思う。こうしたものは、言い回しは変わりながらも長く伝えてゆくべき言葉なのかもしれない。
来年は自分の格率というものを、紙に書いてこしらえてみようかな。
中学生のときの音楽の先生がクラシック音楽好きで、音楽鑑賞の時間に演奏者の解説をしてくれた。モーツァルトの「トルコ行進曲」を取り上げたときに、違う演奏者での聴き比べをやったものだ。ヘブラーとエッシェンバッハとホロヴィッツのピアノ。
聴いた後みんなにどれがよかったかなんて手を挙げさせられたような気がするが、どれが一番人気だったか思い出せない。私はホロヴィッツの豪快なピアノを気に入った。
そのころ仲間うちでグールドが流行っていたので、このモーツァルトの演奏を知っていた。図書館で借りたレコードをカセットテープにダビングして、放課後に音楽の先生に聴かせたのだった。どうですか先生、面白い演奏でしょう。これは変わっているねえ。演奏の面白さというよりも、自分の生徒に勧められたことがうれしいような、そんなそぶりが感じられ、今でもよく覚えている。
グールドによるモーツァルトのソナタを聴くのはそれ以来である。モーツァルトのソナタをそれほど聴いていないこともある。バレンボイムやエッシェンバッハのをたまに聴くくらいで、あまり自分のなかでは大きい存在ではなかったようだ。
そんなモーツァルトのピアノソナタをグールドによるピアノで聴いたけれど、これは素晴らしい。
このCDには8,10,11,14,16の5曲が収められていて、どれもこれもいい。どこから切り取っても、深く聴き入ってしまう。
まず音が魅力的だ。ピンと張りつめられていて、まったく濁りのない澄んだ音色である。そして弾力に富んでいて抑揚がある。これは強弱や速さからくるものではなく、音そのもののニュアンスによるものであると感じられる。ピアノという楽器は鍵盤を叩きゃ誰でも同じ音が出るような気がするので不思議なことだ。
それから、テンポの扱いの面白さ。たとえば8番はかなり速く、11番は恐ろしく遅いのだが、いずれもじつに洗練されている。
野暮なところはまったくなくスマートだ。音の鮮烈さが効いていることもあろうし、左手を強調させて立体感を出していることも要因かもしれない。テンポの速度に関わらず、まさにいま音楽が生まれている臨場感がある。
ここに取り上げる14番は、両端楽章においてはわりと正攻法というかオーソドックスなテンポ設定をしている。弾力に富んだ明敏な音色がいきている。2楽章はテンポをぐっと落とす。間が長い。緊張感がある。音のひとつひとつに表情があって雄弁だ。
澄んでいて、冷やかな情感に溢れている。終楽章は、装飾音を大胆に使っていて驚いた。通常に聴く音の10倍くらいは音符がありそうで、こうなるともう装飾音ではなくて改変に近いのかな。スマートに仕上げられていて、悲劇的な味わいが色彩やかに息づいている。
こんなにいきいきとしたモーツァルトの演奏は多くはない。
1965年-74年の録音。
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