筒井一貴さんのチェンバロリサイタルに足を運びました(2021年6月5日、ソフィアザール・バロック高円寺にて)。
彼が弾く鍵盤楽器は、1月の陽だまりのよう。じんわり温かく、決して声を荒らげない。
今日も、そんな居心地のいいチェンバロを聴かせてくれましたが、それは前半まで。後半のバッハ、とりわけ「イギリス組曲」は陽だまりどころか業火のような演奏。チェンバロから幾重にも放射される苛烈な響きが臓腑に刺さるようでした。筒井さんのこういう演奏は初めて聴いたかも。すごい「イギリス組曲」でした。今更ながら、バッハはすごい音楽を書いたものだと実感。
さて、前半のレクチャーのなかで、「音楽的常識」というワードが登場しました。これは、曲をイキイキと演奏する手立てであり、音楽のキモを意味するものでしょう。これを決めるものはセンスであると漠然と考えましたが、筒井さんは教養や素養、あるいは経験だと言う。ピンとこなかった。でも、フィッシャーの曲を音楽的常識「あり」「なし」で弾きわけてくれると、全然違うことがわかる。私のリコーダー演奏は、後者。楽譜通りは難しいが、楽譜に書かれていないものを掬い取ることもまた簡単ではない。自分なりに解釈すると、演奏の積み上げ=経験(教養)がものをいうということに帰結したのでした。
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