筒井一貴さんのリサイタル「バロック方面より風きたる ACT.4」に足を運びました(2022年5月28日、ソフィアザール高円寺バロックにて)。
筒井さんのリサイタルはお話も面白いけど、そのなかでとくに共感したのは、チェンバロは強弱がつかないという定説に対する懐疑。
構造上強弱はないということを知りつつ、いくつかの演奏から滲み出る自然で流れるような抑揚は、強弱がないとだせないのではないかと思っています。
リヒターやロンドーが弾くバッハに感じるし、この日のデュフリーもそうでした。ピアノに比して、違和感がない。
「物理的にそんなことはあり得ない」ということならば、知らず知らずのうちに、脳内から「幸せ」物質が分泌されているのかな。笑
デュフリーのふたつの演目は、それぞれ24年の間隔をおいて作曲されているようです。
乱暴に言ってしまうと、モーツァルト降臨前と後。前者は、あたかもヘンデルの鍵盤曲のようで、折り目正しく、ちょっぴり鄙びた音楽だと感じました。
後者は、筒井さんの解説にあったようにモーツァルト色が濃厚。華やかにして軽やか、そして匙一杯のロマン派が注がれている感じ。
いずれも初めて聴きましたが、とても面白かった。CD漁りでは掬えない発見。
アンコールで演奏された映像を添付しますので、ご覧いただけたらと思います(デュフリー「クラヴサン舞曲集第1集から「La damanzy」」)。
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