レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル城繁幸の「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか」を読む。
これからの日本の会社はどうするべきか、ということを議論しようとすると、90年代以前の年功序列型に戻すのか、もしくはアメリカ型の競争主義を推し進めるのかとの二元論的迷宮をさまようことになる。識者によって意見がわかれるところで、これといった決定打はまだ出ていないようだ。この本の著者は、どちらとも解答していない。問題はどちらにするということではなく、「労働者が適正な報酬を得られるシステムを確立」することだと言う。正論である。まったく異論はないものの、そもそも、それをするために先の二元論があるのじゃなかったっけ。
また、こういうことも言っている。仕事にやりがいを求めたい人はそれなりのポストを要求すればいいし、ワークライフバランスを重視する人は在宅勤務を認めさせる主張をすればいい。その結果、「それらが受け入れられないならば、転職すればいいのだ」。そりゃそうかもしれないけれどねえ…。
本など頼らずに、自分で考えろという授業料。
バーンスタインのシンフォニー・エディション、マーラーを全曲聴き終えた。バーンスタインのマーラーは、どちらかといえば後年のDG録音のほうがなじみがあった。このニューヨーク・フィル(8番のみロンドン響)とのものは、半分以上は今回初めて聴いた次第。どれもそれぞれにいい演奏なのだけど、特に言えば、3番、6番、7番、8番、そしてこの9番がすばらしいように思う。60年代のバーンスタインのカッコよさ、才気煥発ぶりを改めて思い知らされた。
バーンスタインの9番といえば、ベルリン・フィルとの「一期一会」のライヴや、コンセルトヘボウとの演奏のほうが、世評高いようだ。それは、福島章恭が言うように、バーンスタインが全裸で両手を広げて待っているような(違ったかな?)、阿鼻叫喚型の演奏。かなり特殊な部類に属すると思うのだけれど、何故か人気は高い。あれに比べると、ニューヨーク・フィル盤は、けっこうまっとう。オーケストラのバランスがいい。テンポは速すぎず遅すぎず(79分31秒)、過度な変化もとくにない。ないのだが、随所に指揮者のセンスを感じるところがある。たとえば、各パートの鳴らせ方に工夫をこらせているところ。特に、3楽章でガチャガチャやっているなかで、木管パートがいきなり眼前に蠢くところにはハッとした。こんな音があったのか。他の演奏では聴いたことがない。楽譜を見たことがないので手を加えたものかわからないが、たぶんオリジナルだろう。こうして新しい音を発見すると、なにか得したような気になるのは貧乏性のなせる技か。
終楽章における弦のつややかさは、のっぴきならない。あまたある他の大演奏と比べても遜色がないどころか、これならばとりあえずは満足と思えるくらいの完成度に達していると言っていいかも。録音も申し分ないと思う。
1965年12月、ニューヨーク、フィルハーモニック・ホールでの録音。
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