夢枕獏の「はるかなるもろこしまでも」を読む。これは、「陰陽師 醍醐ノ巻」に収録されている短編小説。陰陽師の安倍晴明と笛の名手である源博雅のコンビが、京の都で発生する怪奇な事件を解き明かすというシリーズのひとつ。
最初の秋の虫の鳴き声が描かれている。カンタン、クサヒバリ、鈴虫、カネタタキ、松虫、コオロギ、閻魔コオロギ。全部、ひらがな。ひとつひとつの文字に特段の意味はないように思うが、丁寧に読んでみるとなんだか楽しくなってくる。実際に、秋の虫たちが目の前にいるよう。
内容は、謎の女の正体を暴くミステリー仕立て。あるときは歌合せの会、あるときは相撲の節、あるときは小川の魚獲りで、見知らぬ女が現われる。いつも楽しそうにコロコロ笑っているが、気がつくと女は消えている。伽羅の匂いを残して。やがて街の噂になる。
ラストで女の素性があきらかになるわけだが、ここは涙なくしては読めない。
この巻は、全編中の白眉。文句なく面白い。ページをめくるのが惜しくなるくらい。
平安の都に思いを馳せずにはいられない。
ルドルフ・ゼルキンのピアノ、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番「皇帝」を聴く。
ゼルキンの「皇帝」は、小澤指揮ボストン交響楽団の演奏で聴いたことがあるはずだが、印象に残っていない。それは、当時彼はかなりの高齢だったということがあり、しかしなおそこそこいい演奏であったけれども、ゼルキンという高いハードルを鑑みると予想以上というわけじゃなかったから、ではないかと思う。
このバーンスタインとのものは初めて聴く。40年もクラシック音楽を聴いてきて、呑気なものだ。
ゼルキンは録音当時、60歳手前。脂の乗り切った時期である。バーンスタインはニューヨーク・フィルの音楽監督として飛ぶ鳥を落とす勢い。大きな期待をしないわけにいかない。
冒頭の、壮麗なオーケストラの響きとパンチのきいた華麗なピアノで、この演奏のレベルの高さは、もう保証されたようなもの。すみからすみまでが聴きどころ。
テンポは全体的にいくぶん速め。推進力が強く、ぐいぐいと前に進む。ピアノはときに剛直、ときにデリカシーに溢れていて、なにしろ表情が豊か。テクニックは目覚ましい。全編に渡って、生きる喜びが爆発している。
バーンスタインの指揮はとても快活。攻めるところは総動員で攻める。1楽章の第2主題のなんと力強いこと。繊細な場面においては針の穴を通すような注意深さで音を紡ぎあげる。2楽章の、弱音器のヴァイオリンはことのほか美しい。
人生、こんなふうに過ごしたいものだ。夢だな。
1962年5月、ニューヨーク、マンハッタン・センターでの録音。
おでんとツイッターやってます!本を出しました。
お目汚しですが、よかったらお読みになってください。
PR