東野圭吾の「超たぬき理論」を読む。
幼少期の頃、裏の倉庫で空を飛ぶ動物を見た。それをたぬきだと信じた彼は、たぬきの研究に勤しんでいく。
アダムスキー型のUFOは文福茶釜であり、河童は脱毛したたぬきである・・・。そんな理論で武装し、彼は宇宙研究家とテレビで論争し、相手を打ち負かす。
ばかばかしいにもほどがある。しかし、このナンセンス、好きだ。東野圭吾の小説は、長編のミステリーを何冊か読んだことがあるが、こうしたユーモア小説は初めて。くだらなくて、実に面白い。他のものも読まなくては。
マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏で、ベルリオーズの「イタリアのハロルド」を聴く。
中学生の頃に「イタリアのハロルド」にはまった。それは、このマゼールのLP盤と、バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団のこれもLP。後者のものは何年かまえにCDで改めて聴いたが、録音が悪くて(確か1976年くらいのものだが、50年代のモノラルよりもたちが悪いくらい)演奏以前に、こりゃだめだと匙を投げてしまった。その後、再試合はできていない。
マゼールのCDは待望のもの。CDそのものは、きっとだいぶ前に出ているものなのだろうけれど、聴くのはこれが初めて。
オーケストラのキレのよさといい、クリーヴランド時代特有のマゼールのポキポキ感といい、おまけにダニエル・マジェスケの雄弁にしてねっとりとしたヴィオラといい、30年以上前に聴いた感銘は、ほぼそのままだ。
マゼールはこのすぐ後にデッカと「レクイエム」を、CBSで「幻想交響曲」というベルリオーズの大曲を続けざまに録音しているわけだが、この3つの演奏のレヴェルはとても高みに達している。ベルリオーズの音楽はなかなかどうして難しいから、「レクイエム」はもちろんのこと、「幻想交響曲」や「イタリアのハロルド」でも名演奏と言われるほどのものはなかなか達成できないのであるが、70年代中期のマゼールはそれをクリアしていると思う。そうそうできることではない。
1楽章の最初のほうで、フルートがピーンと張り詰めて、その緊張を破ってハープが天使の歌を聴かせ、おもむろにヴィオラが入るところで勝負は決まった。背筋がゾクゾクする。あとは、この延長である。マゼール節が最後までじわじわと的確に続く。
今更であるが、この音楽の2楽章は延々と同じフレーズが繰り返される。これはシューベルトのものとはやや違うように思える。シューベルトのものは、同じリズムが繰り返される中で、忘れた頃に最初のメロディーが回帰する、といったものだと思うが、この曲は同じフレーズがあまり変化なく延々と続く。ラヴェルの「ボレロ」の先駆けじゃないだろうか?
終楽章は、とにもかくにもキレがいい。ラストは整理整頓され尽くした不思議な熱狂で幕を閉じる。
1977年10月、クリーヴランド、メイソニック・オーディトリアムでの録音。
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