昨夜テレビで「かぐや姫の物語」を観る。映画館で観た感動をまた味わいたかったからだが、酒を飲みながらのヘベレケ状態ではそうもいかなかった。その理由はもうひとつ。
映画は映画館で観るものだというのは、映像に集中するため、映画館の雰囲気がいいため、そして最も大きな理由は映像が大きいということだろう。
それは特にスペクタクル映画に当てはまると思うが、この「かぐや姫」もそう。
まるで和紙に描いた水彩画のような、独特な映像のスゴさは、テレビ画面ではじゅうぶんに感じることはできなかった。
ことにラストで月の使者が迎えにくるところは、テレビだとむしろ陳腐に見えた。
だから、あれをみてこの映画を評価することは危険である。機会があればぜひ映画館で観て欲しい。
☆☆☆
フラチェスカッティのヴァイオリン、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴く。
フランチェスカッティのディスクは、古いくせになかなか廉価盤にならないので、そういう意味でもこのエディションを購入した甲斐がある。
主役はヴァイオリンであるが、このエディションの目玉の一つ。
実際に聴いてみると、果たして期待を裏切らない。
繊細で艶やかなヴァイオリンの音は、まったく濁りがなく澄み切っている。中音から高音にかけての伸びは素晴らしく、あたかも天空から舞い降りる如く。ときおりみせるポルタメントの粋なこと。
ブラームスの音楽そのものは、どちらかと言えばゴツくて愛相の少ないものと言われることがあるが、そんな先入観を吹き飛ばすようなヴァイオリンの音なのである。あまりにも自然なので難しそうに聴こえないが、これは大変な技量を伴わなければ不可能なものだし、かつこれだけ音の美しさをいうものを追求し尽くした演奏というものも、そうそうあるものじゃないだろう。
バーンスタインのオケは、とても積極的に動いており、伴奏という括りでは収まらない。その動きは、ともすればヴァイオリンより目立ってしまうほど。特に終楽章においての、丁丁発止のせめぎあいは手に汗を握る。フランチェスカッティは全然負けていない。スマートなスタイルを決して崩さない。
すごい勝負だ。
1961年4月、ニューヨーク、マンハッタン・センターでの録音。
おでんとツイッターやってます!さらば日本その2。
本を出しました。
お目汚しですが、よかったらお読みになってください。
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