ラファエル・クーベリック指揮ボストン交響楽団永井龍男の「青梅雨」を読む。
その日に一家心中する老家族の夜を描いている。
宝石を質草に手に入れたお金をしみじみ眺めたり、風呂を沸かして順番に入ったり、パリッとクリーニングした浴衣を着て酒を呑んだり。
淡々とした態度に、覚悟の迫力がある。
最後の最後に、養女が音を上げる。
『「二人とも、けさから、死ぬなんてこと、一口も口に出さないんです。あたし、あたし、えらいと思って」
それきりで、泣き声を抑えに抑え、卓に泣き伏した。
この姿と気勢は、今夜のこの家にとって、一番ふさわしくないものであった。』
ガツンと喰らった。すごい小説である。
バルトークのオケコンは、オーケストラの魅力を味わうためにもってこいの曲のひとつだ。一時期はレコードアカデミー賞の管弦楽部門を「ハルサイ」と交互に取っていた。
管弦楽曲の数の天文学的膨大さを鑑みると、あの頃はいささか偏りすぎの異常な事態であったことを今になってつらつら思う。ドラティ、ショルティ、オーマンディ。それに加えて定評があったのは、ライナー、セル、カラヤン、ブーレーズ。定評はイマイチだったけれどメータ。しこしこエアチェックしたのは、ムーテイとオザワとカラヤン。最近に聴いたのは、アンセルメとケーゲル。SMAPではないけれど、どれもそれぞれ素晴らしい。どれも、ちょっと古いのは恐縮。
これだけのメンツが揃っちゃったらもう他はいらないだろうなんて思うほど、この世界は浅くない。ああ、クーベリックがあったのだ。
このCDの存在をしったのはごく最近。改めて、知らないことの多さを実感。オケは初演したボストン。悪いわけがない。
派手ではないものの、鳴るべき音はきっちりと几帳面に響いている。ソロの楽器はそれぞれうまい。飾り気がなく実直な木管、朴訥な金管、少々荒いけれどつややかな弦。
うまいから、大仰なポーズをとる必要はない。そこのところは、指揮者とベクトルがバッチリ合っているからだろう。
クーベリックとボストン。この他にも「わが祖国」の名演奏があることから、実に相性がよいと思う反面、クーベリックと相性の悪いオケ? はて、あったかな。
この演奏の質の高さは、やはり指揮者の裁量によるところが大きいようだ。
1973年11月、ボストンシンフォニーホールでの録音。
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