シェーンベルク「浄められた夜」 ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィル「復興の精神」は、東日本大震災以降に何をすればいいのか何を考えればいいのかを各界の識者が提示した著作。
執筆者は、養老孟司、茂木健一郎、山内昌之、南直哉、大井玄、橋本治、瀬戸内寂聴、曽野綾子、阿川弘之の9人。
原発をつくらないとまかなえないようになるほど電力を使い放題だった社会を放置したのは、政治家の義務の放棄とする養老孟司や、普段から水やガスボンベを大量に備蓄していたことを少し悲しがりつつも必要であるとする曽野綾子の見解は、傾聴するべきだと思う。
特に印象的だったのは、橋本治の文章。彼はこういう。
「太平洋戦争で、米軍の空襲は都市を狙った。都市は焼け野原になったけれど、農村や漁村地帯は無傷に近かった。大正時代の関東大震災もそうだったが、「焦土からの復興」というのは、都市に関するものだった。都市以外の地域は、なんとなく「無傷」のように思われて、そのままに放置されて衰弱して行った。東日本大震災の復興は、あまり我々の経験したことのない「地方の復興」なのだ。こんな言い方をすればいやがる人はいくらでもいるだろうが、復興に要する資金をいくら投入しても、ペイするかどうか分からない復興なのだ」
「地方は地方で生きていける」ことを前提として日本全体の再構成をする必要があるのではないかと著者は言う。それは概念としてはわかるような気はするのだけど、実際にどんな手立てでやっていくのか。
ワタシにはこれといった妙案はない。あたりまえだが、歯がゆい。わからなくて、モヤモヤする。モヤモヤしっぱなしのジンセイだ。
ブーレーズは「浄められた夜」を3回録音しており、このニューヨーク・フィルとの演奏は2度目のもの。
昔のブーレーズは、抜き身の刀みたいな剣呑な雰囲気を醸し出していた。現代に傾いたレパートリーはときに近づきがたいものがあったけれど、それも含めてカッコいい音楽家だった。そのなかではストラヴィンスキーの三大バレエやウェーベルンの管弦楽曲などの有名曲は楽しく聴くことができたわけで、今でもトップクラスの演奏だ。
ブーレーズのカッコよさはニューヨーク時代あたりまでがピークなのではないかと思う。エラートに移籍してからは、気のせいか鋭さがなくなったように感じたし、DGでのマーラーは期待しすぎたせいか今一つだった。
なので、この「浄められた夜」はブーレーズのピークの演奏である、と勝手に思っている。でも実際の演奏は、意外なくらいに甘口である。濃厚なロマンが漂っている。もっとピリピリした緊張感があるのかと思いきや、目隠しされたらバーンスタインと言われても信じてしまうほどである。なかなかエロくて、よからぬことを考えてしまいそう。
ドメーヌ・ミュージカルとの最初の録音も聴いてみたいものだ。
1973年9月、ニューヨーク、マンハッタン・センターでの録音。
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