福永武彦の「世界の終わり」を読む。
「お母さんはスパイよ、あなたもその味方よ、敵よ。みんなして私を苛めるのよ」
これは、内科医の妻が、少しずつ精神を病んでいく様子を描いた中編小説。
原因はなにか。嫁と姑の確執か。夫婦の不仲か。むろん、はっきりとは描かれていない。ただ、内科医は彼女と結婚するにあたり自分で興信所に調査を依頼したに加え、母親もまた別に調査をしていた。それがじつに淡々と、当たり前のように書かれていて、怖い。
妻の狂気というと、島尾敏雄の「死の棘」を思い出す。「世界の終わり」は昭和34年発表、「死の棘」は昭和35年から断続的に発表されている。もっとも、島尾のは私小説であるから、福永の作品からヒントを得たわけではないだろう。
三浦雅士は、こう言っている。
「福永武彦に『世界の終わり』という作品があり、村上春樹に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という作品があるでしょう。そこのところでは血筋が全く同じ」。
どうだろうか?
村上は「ノルウェイの森」や「意味がなければスイングはない」など題名のみを引用するケースがある。なので、「世界の終わり」というキーワードでひと括りにするのは少し乱暴であるように思う。
ジュリーニ指揮ベルリン・フィルの演奏で、ウェーベルンの「管弦楽のための6つの小品」を聴く。
ジュリーニはこの曲を実演でたびたび振っていたとのことだが、ディスクが残されているのは知らなかった。彼のウェーベルンの録音は珍しいのじゃないだろうか。
ウェーベルンのこの曲は、ひどく緊張感を強いられる音楽であるが、ジュリーニは大きな膨らみをもたせた演奏をしている。柔らかくて豊満。
4曲目の「葬送行進曲」は長い、とても息の長いクレッシェンドの音楽。劇的な迫力で聴き手を圧倒する演奏が多い。けれどジュリーニは、じっくり地に足をつけている。最後こそ強烈な大音響が鳴らされるが、いたずらに煽らない。
とても温かみのある演奏である。
1977年1月、ベルリン、フィルハーモニーでのライヴ録音。
青。
3月に絶版予定。。
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