ひろさちやの「日本人の良識」を読む。
ひろの著作はあきれるほど多いから、ひとつのエピソードが複数の著作に載せることもある。それが、いい話であるならば、何度でも読みたい。それが、これ。
著者の友人に、知恵遅れの子供をもつ親がいる。その子は3人兄弟の真ん中。いつもは1つのケーキを3つにわけて食べる。ある日、ふたつのケーキがあり、その子に1個、あとの子供には1個を半分づつにしたら、その子は食べなかった。はたと母親は気付き、自分がその子と半分づつにしたら、その子はケーキを食べた。
父親は言う。
この子は兄や妹がケーキを半分しか食べられないときは自分が1個のケーキを食べてはいけないことを知っている。これは、ほとけさまの知恵である。この子は知恵遅れなどではない。呼ぶのであれば、知識遅れと言ってほしい。
マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏で、レスピーギの「ローマの松」を聴く。
この曲は、クラシック音楽を聴き始めた当初に、NHKホールで聴いた。セルジュ・ボド指揮ジュネス・ミュージカル・オーケストラの演奏でである。
聴いたことのない曲であったが、最後の曲の、パイプ・オルガンを交えた壮絶な音響の海に度肝を抜かれた記憶は忘れない。
それ以来、生ではこの曲を聴いていない。自宅で聴く「ローマの松」は、音の大きさという面でいささか物足りない。
なのであまりこの曲のCDを持っていないが、マゼールのBOXにあるので聴いてみた。
デッカの鮮明な録音の効果があり、これは自宅のCDプレイヤーでも、かなり聴きごたえがある。クリーヴランドの堅牢なアンサンブルに加え、マゼールは金管楽器や打楽器をおしみなく前面に立てているので、色彩感に不足はないし、録音レヴェルが高いので、ラストの大音響もかなりリアルに伝わる。
レスピーギの曲そのものは大味であり、決して上質なものとは思わない。けれども、この録音で聴くと、作曲家がみんなに聴かせたかった何かの一端が、わかるような気がする。
1976年5月、クリーヴランド、メイソニック・オーディトリアムでの録音。
おでんとツイッター始めました!壁。
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