遅まきながら、俵万智の「サラダ記念日」を読む。
「短いということは、表現にとってマイナスだろうか? そうは思わない。自分のなかの無駄なごちゃごちゃを切り捨て、表現のぜい肉をそぎおとしてゆく。そして最後に残った何かを、定型という網でつかまえるのだ」。
当時、大学生だった著者が、青春を生き生きとうたう。
それは、孤独の苦い味だったり、恋愛のせつなさだったり、食べ物に関する興味だったり。リアルな日常を題材にしているので、若い女の興味というものが、わかったような気になる。
これは、ひとりのさみしさをあらわした歌。
「ダイレクトメールといえど我宛のハガキ喜ぶ秋の夕暮れ」
恋愛歌では以下のものが好き。
「男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴」
「まちちゃんと我を呼ぶとき青年のその一瞬のためらいが好き」
「今我を待たせてしまっている君の胸の痛みを思って待とう」
それから、食べ物が登場する、素敵な歌。食物は、全体を通して多く登場する。それが、この歌集のひとつのテーマであり読みどころなのだと感じる。
「ため息をどうするわけでもないけれど少し厚めにハム切ってみる」
「白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる」
著者によるあとがきも、歌に対するまっすぐな愛情に溢れていて、気持ちがいい。
ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の演奏で、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲3番を聴く(2003年4月、5月の録音)。
この四重奏団は、1808年にゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者らにより編成された世界最古のカルテットといわれている。彼らによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲を、先月から継続して聴いている。
ベートーヴェンの初期の6つの四重奏は、軽やかで幸福感に溢れたものから、シリアスでしかつめらしい曲までさまざまあるけれど、この3番は前者に属するだろう。
なんとも、柔らかくてしなやかな演奏。とりわけ、2楽章アンダンテ。なんてチャーミングなこと。明朗さと崇高さとスプーン一杯の憂いが同居した、これは稀有な楽章であって、演奏もGOOD。ジンセイ、こうありたいと思わないではいられない。
録音は残響を比較的多めにとっていて、雰囲気がいい。
いかめしいベートーヴェンが苦手な方でも、これは気にいるでしょう。
フランク・ミヒャエル・エルベン(ヴァイオリン1)
コンラート・ズスケ(ヴァイオリン2)
フォルカー・メッツ(ヴィオラ)
ユルンヤーコプ・ティム(チェロ)
パースのビッグムーン。
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