ストラヴィンスキ「春の祭典」 アバド指揮ロンドン交響楽団ドストエフスキー(亀山郁夫訳)の「悪霊」第2部を読む。
第1部を読み終えてから、1年経ってしもうた。あのときはかなり時間をかけて読んだので、内容はわりと覚えていた。それに、本書には第1部のまとめというか復習が巻末に用意されているので、それを読むと繋がりがよりはっきりした。
第2部は、いわゆる「悪霊」とされるところのふたりの人物、すなわちニコライ・スタヴローギンとピョートル・ヴェルホヴェンスキーの立ち回りを中心に展開される。
長大であるし、謎めいた記述が多いため、全容をここにわかりやすく書くことは、今のワタシの能力ではできない。
よって今回は、物語の核心のひとつを象徴する文章を引用することにとどめる。
ピョートルがスタヴローギンに対して述べた「スパイ制度論」から。
「社会の構成員の個人個人が、たがいに相手を監視しあって、密告する義務を負う。個人は全体に属し、全体は個人に属する。全員が奴隷で、奴隷をいう点で平等だ。極端な場合には、中傷、殺人も許される、でも、大切なのは平等。まず手はじめに、教育、科学、才能などのレベルが引き下げられる。科学や才能の高いレベルは高い能力があって可能になるが、そんな高い能力などは不要! 高い能力を持った人間たちは、つねに権力をにぎろうとし、暴君だった」。
アバドの「春の祭典」を聴く。
この演奏を聴くのはCDでは初めてなので、じつに久しぶり。
70年代半ばの録音ということは、「ハルサイ」激戦時代。それをかいくぐってきた懐かしの演奏である。
スマートなフォームがなかなか恰好いいし、ときおり聴き覚えのないフレーズが明瞭に鳴っていてハッとするし、そこそこ迫力もある。
ただ、星の数ほどあるこの曲には、いい録音が多い。
若々しさがみなぎるティルソン・トーマス/ボストンやメータ/ロサンゼルス、シャイー/クリーヴランド。スッキリと見晴らしのよいブーレーズ/クリーヴランド(旧盤)。怒涛の臨場感がハンパでないカラヤン/ベルリン(1978ライヴ)。オケの高い技量をまざまざとみせつけるショルティ/シカゴとムーティ/フィラデルフィア。原始主義的な荒々しさがあるスイトナー/ドレスデンとゲルギエフ/キーロフ。マイルドな味わいのマゼール/ウイーン。手だれの風格を感じさせるドラティ/デトロイト、等々。
それらを知ってしまうとこの演奏、相対的には、いささか分が悪い。対抗馬が多すぎる。
単体で聴けばじゅうぶんにいい演奏であるが、これじゃなければならないといった要素は、今となっては薄いと思う。
1975年2月、ロンドンでの録音。
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