コンスタンティン・シルヴェストリ指揮ウイーン・フィル東野圭吾の「新参者」を読む。
阿部寛の主演でドラマ化されたものが毎週日曜に放送されている。刑事ものが好きなので1回目から観ているが面白い。人形町を舞台に、巧みな推理と人情でもってことの真相に迫っていく。ひとつの事件を軸に、街の店が代わる代わる舞台になる。「煎餅屋」、「瀬戸物屋」、「時計屋」の回は泣けた。
今週はどんな展開なのかな、などとつらつらと思っていたら家に原作がころがっていた。息子が買っていたようで、途中に栞がはさまれている。続きを読む気配がないので、拝借して読んだ。
章がわりと短いので、ドラマはやや話をふくらませているものの、基本的に原作に忠実だ。細かなトリックの描写は文章のほうが端的である。しかし映像の力はたいしたもので、読んでいて阿部寛や原田芳雄など俳優の顔が出てきて仕方がなかった。
後半になって事件は核心に迫っていくが、緻密な構成と人物描写において前半のほうが完成度が高いと思う。
爆演大将シルヴェストリのショスタコーヴィチ。
たっぷりとタメをつけた冒頭を聴いて、おおこれだと膝を叩く。テレビドラマや映画のためにデフォルメした演奏みたいである。
それがいいかどうかということはあるものの、その姿勢を全曲に渡って貫くとしたら、それはそれである意味偉いことだ。期待度高し。
後続は、情熱たっぷりであるがわりとまっとうである。2楽章はテンポこそ中庸だが、ヴァイオリンの鼻にかかったようなポルタメントと厚みのあるフルートの響きとのコントラストが面白い。
重厚な3楽章を経て、終楽章で爆裂。なんなんだ、この速さは。ムラヴィンスキーやバーンスタインと比べると倍は速いのじゃないか。
時間を測ればそんなことはないだろうけど、体感ではそんなふうに感じる。速すぎて、音がいくつか抜けているようにも聴こえる。徐々にテンポはまっとうなものになってゆくが、冒頭のテンションは落ちない。金管の悲鳴、軋む弦。
60年代においては、ウイーン・フィルによるショスタコの演奏は珍しいと思われる。ウイーンは意外にこういう指揮者も好きなのかもしれない。
外連味のある鳴らせ方において、シルヴェストリはマゼールの先輩格にあたるかな。60年代は華やかなり。
1961年の録音(1962年という説も)。
PR