ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルのシベリウス交響曲第7番近所のスーパーでしじみを買った。
ロシア産とあるが、妙にでかい。
アサリ並みの大きさである。
さすがに国土が広いだけのことはある。
これを、酒蒸しにしてみた。
今までのしじみジンセイを振り返ってみても、こんな大ぶりのものは初めてだったから少し身構えたが、味もちゃんとしじみである。
こんな些細なことから、世界の広さをしみじみと実感してしまったなぁ。
さて。
ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのコンビでの合奏の精密さは、セルやショルティのものとは質が少し違う。
それは、殺気なのだと思う。
ムラヴィンスキーの音作りには殺気を感じる。
油断をしているとスパッと切られるような緊張感があるのだ。
愉悦と精気がみなぎるようなモーツァルトの39番も、彼が振れば、楽しさを感じるというよりも、頭をたれて正座をして(実際にはしないけどネ)聴かなければならないような厳粛な気配を醸し出す。
いい演奏には違いないけれども、あまり明るい音楽は彼に似合わないのではなかろうか。
コーホー氏は、彼のチャイコフスキーの演奏を『「悲愴」ではなく「非情」』と言っていたが、その感覚はわかる。
非情と言えば、ゴルゴ13。
ゴルゴ13は、決して相手に背中を向けない。
休暇中でも襲ってくる敵にはスキを見せず、容赦なく相手を撃つ。
ムラヴィンスキーは、休暇をどのように過ごしていたのだろう。
シベリウスの第7は、ただでさえ触るとひんやりする音楽。それがムラヴィンスキーの手にかかると、頬がきれそうな冷たい吹雪。ヴァイオリンの悲痛な叫びが悲しくも美しい。
ホントに正座して聴いてマス。
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