プレヴィン指揮ウイーン・フィル/「ツァラトゥストラはかく語りき」学生時代にニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の読書会に参加したことがある。
だいたい隔週に1度に開催されたのだが、2年くらいかかって全部完了することはできず、後半は自分で読み進めていった。
この本に哲学的な専門用語は登場しないのだが、詩的な文体で、比喩が多く読者に想像力をゆだねるところが多いので、別の意味で困難な作業だった。わかったとは全然いえなかった。
一度、講師の先生にR・シュトラウスの音楽はどうなのかと聞かれて、「いやあれは本書とはあまり関係のない通俗的な音楽ですよ」 なんていうことを言って失笑を買ったことがあった。
中途半端に生意気な学生だったのだ。
その先生も、40代の若さで逝去。ニーチェの専門家だったからかも知れないが、葬儀は無宗教という形で実施され、モーツァルトのK.466の第2楽章が、厳かに何度も流れていた。それを聴いて、「オレの葬式にはマーラーの第9を流すか」などと、わけのわからないことを考えていた。若気の至りというべきか。20年ちかく前のことである。
私の葬式で流れるのは、普通に坊さまの読むお経であろう。それで私には充分すぎる。
プレヴィンの演奏は、ウイーン・フィルの魅力満載。苦くて、コッテリと甘いウィンナ・コーヒーの味がする。
テラークの録音も最高で、哲学書は置いておいて、音響の快感にどっぷりと浸ることのできるCDである。
カップリングは「死と浄化」だが、木目調の音が丁寧に磨かれていて、演奏はむしろこちらのほうがいいかも知れない。
ところで、読書会のテキストに使ったのは岩波文庫(氷上英廣訳)のもので、「ツァラストラはこう言った」という訳なのだが、旧かなの雰囲気が個人的には好きなので、R・シュトラウスのこの曲には「かく語りき」のほうがいいと勝手に思っている。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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ニーチェについては私も途中リタイアだったので、おいおい読んでいきたいのです。隠居してから読むといっても、いつ死んじゃうかわからないので予定が立てにくい。となれば、今まさに読む時期であるとも思います。ジンセイの方向を考えなければ!