ゲオルク・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団高橋源一郎の「性交と恋愛にまつわるいくつかの物語」より『キムラサクヤの「秘かな欲望」、マツシマナナヨの「秘かな願望」』を読む。
異性にモテない男女のせつない物語。
「キムラサクヤは、オナニーの専門家として、あらゆるものを試していた。AVを、写真雑誌を、裏本を、グラビア雑誌を、官能小説を、下着の通販カタログを、こっそり写した隣の家の小学生の女の子の入浴姿を、試してみた。そして、もっとも強烈な刺激を与えてくれるのが「JJ」であることを発見したのだった(「セシール」や「FJ」のカタログもいい線まで行っていたのだが)」。
なかでも、いささか美しすぎる「ほんもの」のモデルよりも、読者モデルのほうがいいという。リアル感があるというわけだ。なるほど、読んでみたくなったよ「JJ」。
このように、男はバカである。だが、モテない女も負けていない。
「もし、藤木直人と押尾学と成宮寛貴が三人並んで、わたしに愛の告白をしたら…。わたしは成宮寛貴を選ぶに違いない。マツシマナナヨはそう思った」。
楽しそうだ。
全体を通して読むと、男女の愚かさの違いは、オナニーを多用するかしないか、それがひとつの分岐点になっていると解釈できる。
ショルティの二度目のヴェルレクはシカゴとのもの。オリジナルはRCAでの録音である。ステレオ時代以降にショルティがデッカ以外で録音するのはけっこう珍しいのじゃないかと思う。あと思いつくのは「ボエーム」くらい。管弦楽曲はあるのかな。
さてこの演奏、バリッとメリハリのあるスタイルは期待を裏切らない。やや金属臭のあるオーケストラと、細やかなアンサンブルの合唱がうまく溶け合っており、じつに折り目正しい。硬質の鉛筆で書いた楷書のようだ。両者の目指す方向が一致している、というか指揮者の統率が冴えわたっているのだろう。
「怒りの日」における大太鼓の咆哮の強さはトップクラス。いままで聴いたなかでは、トスカニーニあるいはジュリーニ/POに並ぶと思う。録音の良さを考慮すれば、これが最高かもしれない。皮の震えを、明瞭に捉えている。ここは、こうでなければならない。
歌手はわりとマチマチである。プライスの声の甘さと、ときおり古めかしく崩すところは、ショルティのスタイルに合わないような気がしないでもないが、これはこれで魅力があるので、繰り返し聴きたくなる。ルケッティは声がよく、キリエはいまひとつだったが、中盤以降だんだんよくなってくる。ベイカーは悪くはないけれど、声そのものの魅力はちょっと薄い。ダムはどっしりと力強く安定していていて、やや硬めの声質がオーケストラの音色に合っているようだ。
レオンタイン・プライス(S)
ジャネット・ベイカー(MS)
ヴェリアーノ・ルケッティ(T)
ジョゼ・ヴァン・ダム(B)
シカゴ交響合唱団
マーガレット・ヒリス(合唱指揮)
1977年、シカゴ、オーケストラ・ホールでの録音。
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