ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団
ザックス:トマス・スチュアート
ポーグナー:フランツ・クラス
ベックメッサー:トマス・ヘムズリー
ワルター:シャンドル・コーンヤ
ダヴィット:ゲルハルト・ウンガー
エーファ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
マグダレーネ:ブリギッテ・ファスベンダー
他今週は珍しく仕事が忙しく、慌しい1週間だった。自ら小ミスも乱発、慌しさに輪をかける結果になったのは痛々しかった。
そんな日常生活をよそに、今週はさまざまな分野の人が相次いで亡くなった。ベルイマン、小田実、アントニオーニ、阿久悠。みんな、70歳を過ぎているからしてそう驚きではないものの、小田や阿久なんて、もう70を過ぎていたのかという驚きはあった。
つまり、自分が20歳前後のときの彼らの年齢が焼きついているようなのだ。20年前の記憶を今も強く引きずっていることになる。確かに当時は、いまに比べれば本をよく読んだし映画も観たし、音楽も聴いていた。けれど量よりもやはり質なのであろうな。乾いた砂に水がしみこむように、良いことも悪いこともどんどん吸収していいったわけだ。それが今じゃ泥沼に雨という有様。
いいんだか悪いんだか…。
クーベリックのワーグナーは、ブログ仲間の多くの方が激賞されているので、是非聴いてみたかった。
ここ1ヶ月は「マイスタージンガー」漬け状態である。といっても多くは通勤時間にipodで聴いているので、通して聴いたのは数回だけである。
思い起こせば、この曲をまともに聴いたのは、バイロイトのシュタイン以来である。まともと言ったって、ラジオの前でゴロゴロ寝そべって聴いていただけである。
歌詞を見ないで聴いていたので、誰がどこを歌っているのかいまひとつわからなかったが、これではもったいないので、歌詞とオペラ解説書を引っ張り出して聴いてみる。
「トリスタン」は半音階を多く採用した音楽として知られているが、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、全音階がほとんどであり、かつ多くの部分にハ長調を用いているらしい。そういう点においても「喜劇」と呼ばれるのかもしれない。
他の全曲盤を知らないので、演奏の比較はできないのであるが、このクーベリックの演奏は、ずっしりとした手応え歯応えを感じるものだ。
まずオーケストラがいい。バイエルン放送饗は、各パートのちから具合のバランスとか、音色の統一感が絶妙なオーケストラだと思うが、ここでもそれは充分に発揮されている。ようするに安定感が抜群だ。
歌手陣も同様に、全体的にバランス感覚に秀でている。みんなオーケストラと溶け合っていて、違和感を感じる声は見当たらない。ザックスのスチュアート、エーファのヤノヴィッツ、ベックメッサーのヘムズリー、ワルターのコーンヤ、素晴らしい。
部分的には、第3幕の5重唱から行進曲と合唱に至るところ、静謐で繊細な場面から打って変わって勇壮感を帯び高揚してゆく場面はすばらしく感動的である。ここではバイエルン放送合唱団の力強さが光る。
あと第2幕の最後での喧嘩のシーンがすごい。リュートの伴奏からベックメッサーが歌い始め、やがて周囲のメンバーが入り込んできて、どんどん音量も上がっていき、テンポが速くなっていって、合唱も入り交ざり壮大な対位法でクライマックスが築きあげられてゆくところ、すさまじい盛り上がりである。ここでも歌手はもとより、合唱団の骨太の声がとても味がよく、効果をあげている。
当然のことながら指揮者の統率力も非の打ち所ないもので、この圧倒的な量といかにも複雑に入り組んでいそうな音を、うまいこと紡ぎ合わせてひとつの大きな流れを作っている。
また、このCDでは録音の良いことも特徴だ。大編成でありながら恣意的な味付けを感じることのない、自然で広がりのある音をじゅうぶんに堪能させてくれる。
ここ何日か、歩きながら第2幕の最後の部分ばかり繰り返し聴いて、ひとりほくそ笑んでいるのだ。
あまりに素晴らしいので、ちょっと気を緩めるとおしっこをちびりそうになる。大人だから実際にそうはならないが、あと20年もしたら本当にちびってしまうかもしれないな。
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