吉本隆明の「日本近代文学の名作」を読む。
夏目漱石から二葉亭四迷までの24人の作家の代表作の論評。
読んだことのある作品は、自分が読んだときに目が届かなかったところの指摘が新鮮で、もう一度読み返したくなる。
読んだことのない作品は、筆者による時代背景の状況説明や、関連するほかの作品との比較から作品に対する愛情が感じられ、じわじわと読みたくなる。
取り上げている作品は、いわゆる純文学から吉川英治、江戸川乱歩といったところの大衆文学、そして柳田國男や折口信夫といった民俗学者まで幅広い。
吉本の広範な知識から分析を繰り広げているのでなんとも幅広いが、どれも文章は平易でとてもわかりやすいので、なんだか自分が賢くなったような錯覚に陥る。
実際にこれらの作品を読んだら、難しくて手に負えないものがあるに違いない。
今日はFM放送から。
ラン・ランのピアノでラフマニノフ。
結論から言うと、これは爆演であった。
ピアノではなく、アシュケナージが指揮するオケが。
自らのピアノで3回録音しているし、特にプレヴィンとのものは歴史的名盤といってもいいほどの内容であるからして、彼がこの曲を演奏するのに並々ならぬ思い入れがあるのだろうと予想していたが、それを超える面白いものだった。
全体的に情緒連綿としている。指揮者はオケを煽りまくる。なので、時折アンサンブルが破綻する場面もあったが、そんなことはおかまいなしにガンガンとテンポを揺らせる。
時には咆哮し、泣き叫ぶ。やりたいほうだいである。
こういう演奏を、21世紀の今聴けるとは。
一方のラン・ランは、冴え渡る技巧を駆使して、難なく指揮者についてゆく。速いパッセージをなんの苦労もなく(かどうか実際はわからないが、どうやってもそう聴こえる)ゆうゆうと弾きこなす。
ひとつひとつの音はハッキリと粒だっていて明瞭そのもの、危なげがまったくない。
こちらのほうは毅然としていて、基本的にはオケについていっているものの、フォームはまったくくずしていない。
技巧的には、全盛期のアシュケナージの上を行っているかもしれない。それくらい、精度の高いピアノ。
1楽章が終わったとき、躊躇なく拍手が始まりしばらくやまなかった。
それがとても自然に感じる、そんな演奏だった。
オケはストックホルム・フィル。
2007年12月8日、スウェーデンでの収録
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