チャイコフスキー「冬の日の幻想」 プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管五木寛之と香山リカの対談集「鬱の力」を読む。
『治療すべきうつ病と、人間本来の感情である「鬱」は分けなければならない』という。
たしかに毎週月曜の朝に感じる、なんともブルーな気持ちは病気というよりも、普段もっているまともな感情なのだろう。あれが病気なら、たぶん一億全員病院送りになっちゃうな。
とはいいつつ、ホンモノのうつ病を見分けることは難しいらしい。いまは自己申請をすればお医者さんがバンバン診断書を書いてくれるが、ほんとうのところ病気なのかどうかの境目は、プロでも判断に迷うことがあるとのこと。
五木によれば『毎日これだけ胸を痛めるニュースがあって、気分が優れないのは当たり前』であり、『いまの時代は「ちょっと鬱」というくらいが、いちばん正しい生き方』ということだ。
そういわれると、ちょっとホッとする。無理をして元気ぶらなくてもいいのかな、と。
それにしてもこの本、新書にしては字が大きい。小学生もターゲットになっているのかも。
プレトニョフのチャイコフスキーを聴く。
この演奏、聴きどころ満載である。
両端楽章は比較的テンポをゆっくりとっていて、チェリビダッケ的執拗さがみられる。ひたすらディテイルにこだわり、ひとつの音もおろそかにしないような気合がある。今までに聴いたことのない音がたくさん登場してくるので、初めて聴いたみたいな、とは言わないけど、かなり新鮮だ。
細かいところにこだわる割には、テンポの流れがよいので、停滞感はない。
その結果、「冬の日の幻想」の新たな境地が明瞭にみえてくる。指揮者のこの曲に対する熱い思いがじゅうぶんに伝わってきて、こちらも胸が熱くなる。
第1楽章の第2主題のクラリネットの哀切極まる響きや、第2楽章のオーボエのつややかで端正な響き、第3楽章のトリオのワルツは、ほんのすこしかかっているポルタメントがデリカシーたっぷり。
そして第4楽章は、パワーを秘めた軽やかなサウンドであり、ここにきて対抗配置が生きてくる。
コーダの工夫が面白く、今までに聴いたことのない力強さがある。
ロシア・ナショナル管は、厚みのある弦楽器を主体にしていて、その色合いはイスラエル・フィルやロンドン・フィルに似た、しっとりとしたもの。木管や金管の個人技は大変高いと思われるが、あからさまに技巧をひけらかさない。
全体的にはとてつもないパワーを秘めながら、常時80%の力で勝負しているような余裕を感じる。
まあ、このあたりのところは録音でははかれないところだけど。
チャイコ・ファンにオススメの一枚。
1995年、11月モスクワでの録音。
PR