マーラー交響曲第8番 クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団 他吉田秀和の「名曲のたのしみ」は昨日からチャイコフスキー。しかし、初回からピアノ協奏曲2番と「悲愴」ということは、このシリーズは短期間なのだろうな。
「悲愴」はメンゲルベルクの演奏。吉田の学生時代の思い出の演奏だという。思ったより音質がいいので少し驚いた。そのせいかどうかわからないが、始まってまもなく夢に落ちてしまった。
勝手にクーベリックの日クーベリックは私にとって夢に終わった指揮者である。
作曲に専念するといって一旦は指揮者を引退するものの、チェコスロヴァキアが自由化されると「プラハの春」音楽祭で復活し、91年には日本にも来て話題になった。
このチェコ・フィルとの演奏会を、ついに行くことができなかった。
バーンスタインのマーラーも、クライバーのブラームスも、ブーレーズのストラヴィンスキーも難なくチケットを取れたものだったが、このクーベリックは駄目であった。何人かの手で入手を試みたがカスリもしなかった。思っていた以上の人気の高さに驚いた。
このコンサートの模様は、後日にNHKでテレビ放映され、ビデオに録画して何度も観た。
これは涙なくしては観られない、掛け値なしの歴史的コンサートである。
終曲「ブラニーク」にてホルンで奏される「汝ら神の戦士たち」が鳴ったときの高揚感は他の何にも代えがたい感動がある。それからじわじわと進むにつれ、クーベリックが目に涙を浮かべながらコラールを全奏するくだりは、何度観てももらい泣きしてしまう。「我が祖国」という曲を、さほど優れたものではないと思うのだが、この演奏だけは特別で、音楽のもつ力に圧倒されてしまうのだ。
本当にこのコンサートには行きたかったものだが、果たせず、いまだに悔やんでいる始末である。
最近彼の演奏で気に入っているのは、マーラーの8番。ずいぶん前に完成された全集のなかのひとつである。静かな情熱を持って端正なフォルムを淡々と築くスタイルは、同時代の他の演奏家に比べると地味かも知れないが、この大曲に対する全体の見通しのよさはショルティと比肩するし、バランスの良さでは勝っている。
第1部でのラストでは、ぐっとテンポを落とした合唱の、波のように押し寄せる圧倒的迫力を見せてくれるが、むしろ聴きどころは晦渋な第2部にある。F・ディースカウ、クラス、マティスのそれぞれ個性的で華のある歌も素晴らしいし、管弦楽の透明な清らかさにひきつけられる。ここで聴くことのできる透明感は、マーラーの他の作品からはなかなか聴きとることのできない、明るい雰囲気に満ちたもので、聴いていてひとときの幸福感に包まれるのだ。
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